小林和音(3年/FW/市立札幌新川高等学校)
こんにちは、新3年小林和音です。国語力がとても低く、共通テストの国語は読み終わったことがないのですが、ブログは書かなきゃいけないので書きます。身内ネタ多いかもです。
2025年8月5日
前々から走ると脛の内側がずっと痛かったのだが、ついに朝練のクロス練でさえ痛みでまともにできなくなってしまい病院に行くことを決意した。
「まあ、軽く筋肉が炎症起こしてるだけでしょー!」くらいの私らしいいつも通りの軽いノリだったのだが、実際には普通に疲労骨折していた。
骨折なんて今までの人生においてほとんどしたことがなく、そんなこと到底予想などしていなかったため、唖然としてしまった。
そして待合室で「あーこのままだと新人戦も出れないかもなぁ」なんて考えていたら、途端に涙が浮かんできた。
自分でも驚いた。
サッカーができない悔しさなのか、自分に対する不甲斐なさからくる悔しさなのか、彼女が最近全然会ってくれないことからくる悲しさなのかはよく分からなかったが、それと同時に、高校時代にやっていなかったサッカーでこんなに本気になれている自分がいることの嬉しさと、その環境を作ってくれているサッカー部がとてもありがたかった。
(結局その直後に、診察に来たいつも通りにやけ顔の周くんに「どうだったー?笑」と聞かれ、浮かんでいた涙はすぐに引っ込んだが)
それでも、その後も特段部活は休むことなく行きマネージャーとして練習の手伝いをし、いつも通り下田カーでジャンを4回くらいやって帰るのを繰り返していた。サッカーをしていないのに、その日常的なものでさえ幸せだなーと感じるくらいには、もう12月から入ったばかりのサッカー部のことが大好きになっていた。
(下田はそこであまりにも負けが続き、バイト代が入ったのにも関わらず、周りに借りた金の返済で6割近くバイト代を失っていた。そしてそのせいで水澤、小林、大沢らへんのジャンの感覚が狂っていったのは至極当然のことであるため、クリスマス年目会のジャンをピリつかせたことも許してほしい。)
疲労骨折自体は完治していなかったが、どうしてもサッカーがしたかったため、無理やり新人戦前に復帰し、少しではあったが新人戦に出場することができ、シーズンを終えたため、後悔はしていない。
オフシーズンに入り、同期愛が狂っていた4年生が引退し、
毎週木曜のバイト終わりに大沢と山岡家に行き、終電近くの電車に乗ってうちに泊まり、そのまま向かっていた「金曜1限バレーボール」もついに終わってしまった。正直1年生より私たちの方が楽しんでいたであろう。
そんなこんなで迎えた七大戦では、山岡家に通い詰めたおかげか、Aの試合の方に絡むことができ、若干ながら自分の武器が何なのか理解することができ、大きく成長することができた。しかし結局何度かあったチャンスを決めきることができずにBに落ち、連日の疲労から39℃の熱を出し、途中離脱してしまったためとても悔しかった。
その後の七大戦より最早メインであったオフの人生初ディズニーでは、
本人への被害を考慮して名前は伏せるが、「俊足捻くれ小物ドリブラー」こと、N篠さんがジャンであまりにも負け、かつ七大戦の疲労によりいつもの5倍くらい捻くれていて「しょぼくね?」「おもんなくね?」「腹減ってヤバイ」「和歌山の遊園地の方がおもろい」との発言を朝から晩まで繰り返しており、人生初ディズニーの記憶はN條で埋め尽くされている。このびっくりするくらいの正直さがN條の良さでもあるためこれは決して彼をネガキャンしているわけではない。決して。
4月になり最近では、大量に1年生が入ってきて、また違う匂いの北大サッカー部になったと思う。
それでも変わらず、吉田と部活後毎回のように飯に行ったり、吉田、山内、大沢とブロスタの修練に日々勤しんでいる。
(吉田は実家勢で家にご飯があるため、なぜ毎回飯に来るのかは本当に謎であるが、これがなくなると寂しいのでこれからもよろしく頼みたい。)
そんなこんなで去年1年どんなもんだったか振り返ってみたが、プレー面では悔しい面が多く、納得できた1年だったかと言われればそんなわけはないし、1年の4月からサッカー部に入らなかったことをとても悔やんでいる。
しかし、サッカー以外を振り返ってみて、いくら記憶を遡っても、出てくるのはサッカー部のやつらだけだし、そいつらとの記憶しか残っていない。正直この1年、私の人生の中で最も楽しかった1年といってもいい。
そんなことを言ってもイタイなんて思わないくらいに、私はもうすっかり北大サッカー部が大好きなんだろう。
#早くも大沢に会いたい
#最後まで読んでくれてありがとう

