「サッカーの神様、ごめんなさい。」

話そうか迷いましたが、ここでは私が背負ったコンプレックスについて残そうと思います。共感してくれている後輩がもしいれば、私のような思いをしてほしくない。

県大会にも出たことないけど65人程度部員がいたチームのキャプテンをしていた高校時代に遡ります。

自分より上手い選手を相手するなら、ディフェンス時に抜かれそうになる時や当たり負けそうになる時があると思います。

当時は、マッチアップの相手に負けたくない、引っ張ってでも削ってでも闘い、相手の頭をヘディングしてでも競り負けたくないという姿勢がありました。練習のランでもチーム内で1番になりたいと思って全力で走っていました。キャプテンという責任もあったからでしょうか。

しかし大学に入学してからというもの。

目の前の相手に負けないという闘争心がないことに気がつきました。

私の背負ったコンプレックスとは

心の中で煮えたぎる何かが消えてしまった

ということです。

誤解してほしくないのは、トップチームで活躍したい、チームとして勝ちたいという気持ちは人一倍ありましたよ。

おそらく北大サッカー部に入部した直後は、相手に抜かれたあと引っ張っても勝てないと思うくらいの力の差を感じていたのでしょう。

そこからというもの。

1対1であっさり抜かれる。削らない。身体張らない。頑張れない。走りは自信あったはずなのに全力を出しきれない。

得意だった競り合いももうやりたくない。

どこか腰のひけたプレーをするようになってしまいました。もはや対戦相手に対する慈悲もあったのかもしれません。

もう勝ち負けを決めるスポーツに向かないメンタリティとなっていました。

やはり下手ならば身体張れないと勝負にならないですよ。

チーム内でも負け続け、プライドもズタボロ。

サッカーを嫌いにならないことに必死でした。

ボールの扱いが下手なことが恥ずかしいという思いが強かったのでしょう。

やってて楽しいプレー、上手いと思われるプレーはよく練習しました。すごぶる足元は下手だったので方向性としては間違ってなかったとは思います。入部当初に比べるとかなり成長できた。と思う。

本当に足りないのは対人の弱さということを分かってはいたけれど、心に火がつかなかった。

結局大学4年間サッカーをやってきたけど、トップチームで選手として試合にでることは叶わなかった。

出てる選手が羨ましくて仕方なかった。そんな思いを噛み殺して、監督として偉そうに指示を出す。

こんな悔しい思いをするなら、田舎のヤンキーに負けん気でも叩き込んで欲しかったなぁ。1対1をやり続ければよかった。もっとハングリーにやっておげは…

しかし今振り返ってもそれだけの心は当時なかった。

だから当時やれることはやったんじゃないかな。

最低限サッカーを嫌いにならないということは果たした。

ちょうど良く試合に出れるチームででサッカーしてきた少年は、なぜかわからないが、心の火が消え、目の前の相手に負け続け、自分の弱みと向き合うガッツを失ってしまった。

そして逃げるかのように、ボールタッチや楽しいプレーだけ練習し、割と上達した。

そんな4年間でした。

大学サッカーは大きな挫折として、今後も自分の中に残るでしょう。

負けそうな時、喰らいつくガッツがない。

そんな弱みに向き合える日は今後来るのでしょうか。

後悔の念があることと、幸いなことにサッカーを嫌いにならなかったので、また違うチームを探すのかなと思います。

完全にサッカー依存症です。

よくよく振り返れば

私をサッカー依存症にしてくれた人がいて、サッカーのお陰で楽しい思い出や大切な仲間もできました。

松山幼稚園の林先生、陸、なおきたいき、八起、たくみ(たまにサッカーしてます)

GET.ssのコーチ達。元チームメイト。

城西川越の日色先生、上野先生。同期のみんな。

そして、無条件にずっと応援してくれた茗荷たまきさん。

皆様のおかげで、サッカーが大好きになり、大学までサッカーを続けることができました。そして約18年のサッカー人生が終わります。

本当にありがとうございました。

ここ北海道にきて、サッカーばかりしていましたが、悔しい結果に終わりました。

一生引きずるであろう大きな経験でした。

まあこの経験を生かすも殺すも自分次第。

Viva俺。ということで。

#25 茗荷英史

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