土居竜大/DF/旭川実業高校
新入生ブログの一発目を担当させていただくことになりました、旭川実業高校出身の土居竜大です。このブログでは自分のこれまでのサッカー人生、北大サッカー部への入部を決めた経緯について話をさせていただきます。拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
「サッカーが好き。」高校に入学する時の決め手はもちろん「サッカー部が強いから」だった。小、中学ではチームの中心としてプレーし、もっと強い人達とプレーしたら絶対に楽しいだろうと思っていた。北海道の強豪旭川実業高校。家から通える距離にあるこの高校に進学しない理由は見つからなかった。
思い描いていた理想とは程遠く、高校サッカーは試練の連続だった。入学当初は北海道各地から集まった実力者に圧倒されながらも、自分より上手い人達が集まる環境にワクワクが止まらなかった。「やってやろう。自分でも通用するはず。」そんな気持ちを胸に初めの一ヶ月ぐらいは毎日必死に食らいついた。日を重ねるにつれ、そのワクワク感は次第に劣等感へと姿を変えていった。一つ一つのプレーに今まで思ったこともなかった「ミスが怖い」という感情が介入してきた。ミスをしたら先輩からは冷たい態度を取られ、同期にも呆れられる。「サッカーがすべて」である、実力主義の環境に、自分の軸であった「サッカーを楽しむ」という気持ちが飲み込まれていった。もっともっと上手くならないといけない。そんな焦りを抱える一方で、『勉強もしっかりしよう』と言うコンセプトから7時間授業、土曜授業を導入している(自称特別進学)コースで入学していた自分は、練習も毎回途中参加となり、差は開いていく一方だった。これまで一緒にプレーしていた仲間がどんどんと上のカテゴリーに上がっていく、勉強の時間もサッカーにより削られていき、学校での成績は下がっていく。1年の頃は学校にいくことすら嫌になっていた。「何のためにこの高校に来たんだろう。自分には何も成し遂げられないのか。」そんな意味のないことを寝る前に考える日々が続いていた。
どんな環境にも「慣れ」が存在する。毎日の朝練、放課後練も2年になれば「当たり前のもの」としてこなせるようになっていった。がむしゃらにこなしていた練習もどうやったら上手くなるか、限られた時間でどこまでこだわれるかを実践する余裕が出てきた。その成果もあってか、ずっと下だったカテゴリーも、上に上げてもらえる機会を何度かいただいた。しかし、そのチャンスを活かしきれず、結局主戦場は下のカテゴリー。有望な後輩が自分がこれまで積み上げたものなど悠々と超えてくる。悔しい。遠征メンバーに選ばれない。登録メンバーに選ばれない。高校サッカーで何度経験したかわからない感情だ。練習には「慣れ」が存在してもその感情に「慣れ」がくることはなかった。この時期はその悔しさからくる劣等感を勉強で誤魔化していた節があったのかもしれない。自分には勉強があるからといって仲間からの自主練の誘いを断り、サッカーのことを考える時間を意識的に減らしていた。もう少しで高校サッカーラストイヤー。周りの仲間はサッカーに全てを捧げる中、自分は同時に受験生となる。葛藤の中、親、監督、仲間、色々な人と話をした結果自分の中で結論を固めた。「サッカーはインターハイまで、それまで全力でサッカーに身を捧げよう。」高2の秋にそう決断をした。高校最後のシーズンにすべてを懸けるつもりだった。
高3前の3月。高3でのカテゴリーが左右されるラストチャンスだ。ここで何か残さないと。長い冬のフィジカルトレーニングを乗り越え、コンディションをとことん整えて、高2最後の遠征に臨んだ。試合中右膝に痛烈な痛みが走った。アドレナリンで誤魔化していたものの、それを凌駕する痛みが膝の動きを止めた。嫌な予感はしていた。病院に行った結果告げられたのは「右膝半月板部分断裂」聞いた瞬間はよく理解できなかった「半月板?自分が?」そう思考を巡らせているうちにも「手術が必要です。」と追い打ちをかけるように現実が目の前に突きつけてくる。「半月板断裂 復帰 期間」、「半月板診断 ミス 可能性」似た言葉がGoogleの検索欄を埋め尽くしていく。何度調べ尽くしても、答えは変わらないものだった。ドクターとも話し、出た結論は「手術をして、インターハイ直前に復帰できるかどうか。」残りのサッカーの時間をほとんどリハビリに費やすか、もう勉強に専念するか。その決断をしなければならない。リハビリしたとしてもプレーできる時間はほとんどない。まして復帰できる保証もない。受験勉強も周りからは日に日に置いていかれている。合理的な判断をするのならば答えは一つだろう。毎日のきつい練習。競争の日々。悔しさ。全てから解放される選択がある。出した結論は一つ。
「まだここにいたい。この熱の中でサッカーをしたい。」
そこからの日々は本当にあっという間だった。手術後の麻酔が切れてパンパンに腫れた膝を見た時、本当に復帰できるのか不安で仕方がなかった。でもやるしかなかった。今まで支え合い、高め合ってきた仲間たちから励まされながら。たくさんの友人に応援されながら。1番近くで、1番期待して応援してくれた親に支えられながら。約3ヶ月間のリハビリを経て数試合コートに戻ることができた。もちろん納得のいくプレーとは程遠いものであったが、またみんなとプレーできたことが嬉しくて仕方がなかった。あんなに辛かった日々は自分の中でかけがえのないものになっていた。みんなには感謝しかない。全てをやり終えて引退を決意した瞬間、親へそのことを伝えた瞬間、涙が止まらなかった。結局自分はサッカーがどうしようもなく好きで旭川実業サッカー部がどうしようもなく好きだった。
ここからは受験勉強が始まった。志望校を北海道大学にした理由、受験勉強の日々にも様々な出来事があったのだが、これはまたどこかのブロブでネタが切れたら話をしようと思います。
なんやかんやあり、北海道大学に入学して真っ先にサッカー部を見に行った。サッカー部に入る理由なんてこれで十分だ。
「まだまだここにいたい」
興味のないであろう自分の話を最後まで読んでくださりありがとうございます。最後に今シーズンの目標を掲げて初ブログを終わりたいと思います。
『誰よりもサッカーを楽しむ』

