サッカー人生第4章

鎌田優/芝浦工業大学柏高等学校

こんにちは。水産学部の鎌田優です。長くなってしまいましたが最後まで読んで頂けると幸いです。

自分のサッカー人生は大きく3つに分かれている。1つの区切りが終わるごとに自分のサッカーに対する価値観が変わっていったように感じる。

第1章 ~幼少期から小6まで~

父の影響で幼稚園に入る頃にはボールを蹴っていた。
小学校に上がる頃に地元のチームに入った。
クラブチームではなく、みんなの父親達がコーチをやっている小さなチームだ。サッカースクールにも通った。でもどれも行くのが億劫だった。いつも父に怒られてばかりでサッカーが嫌いだった。
小学校高学年になってもサッカーを好きになることはなかった。むしろもっと嫌いになった。高学年になるとセレクションに行くことが増えたからだ。
セレクションが嫌いだった。知らない人と喋りたくもないのにサッカーなんてもってのほかだった。オラついたやつらに萎縮して声がでなかった。
受験勉強をしていればサッカーをしなくて良かったのでそうした。結局第1志望の都立中には行けず、千葉の私立に進学した。
いい思い出が薄れているだけかもしれないが、小学校6年間は怒られた記憶しかない。
間違いなくサッカー人生における最悪の期間である。

第2章 ~中学校入学から高2~

中学受験を終え、家から離れた私立中に入学したのでクラブチームには入らなかった。
もうサッカーはやめて当時ハマっていた卓球でも始めようかなと思っていた。
とはいいつつも、サッカーを辞めることには不思議と抵抗感を感じたので結局サッカー部に入ることにした。
恩師に出会った。めちゃくちゃ怖いけど誰よりもサッカーを愛している人。(以下、先生とする)
入部当初、父に並ぶ怖さをした大人を初めて見た僕は早々に部活を辞めたいと思った。
でも辞めると先生に言いに行く方が嫌だった。
先生のサッカーは全て理論に基づいていた。
芝柏サッカーの基本は年度始めのミーティングで教えられる。
練習中、先生はよく練習を止める。止める時は決まってミーティングの内容でミスが起こっている。最初の方はまたかよと思っていたが、練習が止まる度に先生の言ってることに納得しているのを感じた。練習を重ねていくと、同じようなシーンが何回か出てきた。もう先生に言われなくてもできるようになっていた。
今まで何も考えずサッカーをしていた自分にとって初めての感覚だった。
頭を使ってプレーしろとは幼少期からよく言われたものだが、具体的にどうするかは分からなかった。多分こういうことなんだろう。革命が起こった。あれだけ分からなかったサッカー。今までは怒られても何が悪かったのかも分からなかった。今までの分からなかった経験が全て言語化されていき、点と点だったものが線で結ばれたような感覚だった。
そこからサッカーにハマるまでは一瞬だった。
芝柏サッカー部では毎週ミーティングが行われる。試合があった週は試合の動画を使い、ない週は先生がブライトンの試合をよく見せてくれた。芝柏に入ってから試合を観るのが楽しくなった。自分でもプレミアリーグを観るようになった。
自主練することが増えた。土日は練習の1時間前にはグラウンドにいた。練習中も常に思考するようになった。
初めて負けたくないという気持ちを味わった。新人戦のメンバーに入らなかったり、同期に負けていたりするのが耐えられなかった。負けず嫌いになったのはここからだろう。
真っ白なキャンパスだった僕はどんどん芝柏サッカーを吸収し、染まっていった。
嬉しい瞬間が増えた。中2で総体に出た時、高校生の練習に混ぜてもらった時、怒られてばかりだけどたまに褒められた時。今でも覚えている。
中3の夏、総体千葉県大会ベスト8がけの試合。後半残り15分まで2-0で勝っていた。最後の15分で3点取られて負けた。芝柏サッカー部初のベスト8までもう少しだった。あの悔しさは今でも忘れられない。
中学サッカー部を引退した。気づいたらサッカーが自分の全てになっていた。高校でサッカーを辞める選択肢は一切浮かばなかった。中学3年間で大きく成長した僕は、高1から出場機会を貰っていた。
順調だと思っていた。
でも当たり前だと思っていた日常は当たり前じゃなかった。

第3章 ~高2から引退~

高2の6月、先生がいなくなった。
急すぎて最初は理解が追いつかなかった。
すぐに帰ってくると思っていた。
でも結局先生は帰ってこなかった。
高3が引退し、チームを引っ張る立場になった。
副キャプテンを任せて貰った。正直自分は器ではないと思っていた。すぐキレるし。(畦地さんこの間はごめんなさい)
高3になり、みんなが受験を意識し始める。部活を辞める仲間もいた。例の如く僕も真剣に受験のことを考え始めた。中高一貫校で育った僕は、高3になるまでまともに勉強したことがなかった。提出物も指で数えられるぐらいしかやった記憶がないし、テストの順位も中1の最初が1番高かった。獣医学部志望だったこともあり、部活を辞めて受験にシフトすることも考えた。親にも辞めた方がいいって言われた。
でも、いくら考えても、サッカーを辞める未来が見えてこない。頼ってくれる仲間達を裏切ることなんかできない。
選手権まで続けると誓った。
ただ、現実というものは残酷で、いくら勉強しても結果がついてこなかった。何度も辞めようと思った。
夏休み、周りが朝から勉強している中、自分は午後から塾に行く生活を送っていた。
親の言葉や焦りから夏合宿には行かなかった。これでいいんだと自分に言い聞かせてはみたものの、勉強が手につかなかった。仲間たちが頑張っている中、1人で勝手に勉強してる自分が許せなかった。申し訳なくて、情けなくて、自習室で涙が止まらなかった。
坊主にした。いろんな意味があった。一緒に坊主にしてくれたやつらもいた。
こうして短い夏が終わった。
間も無く選手権が始まった。初戦をPK戦で制し、順調とはいえない滑り出しだった。2回戦も先制を許したが、ラストワンプレーで劇的逆転勝利を納めた。自分たちの目標まで残り2勝。みんな気合十分で練習や練習試合に取り組んだ。最後の練習試合、相手は格上の中央学院。トップのサブと聞いていたのでまじで勝てないと思っていたが、かなりいい試合をして勝った。チームが勢いづいた。
こうして迎えた10月12日。相手はこれまた格上の検見川。でも関係なかった。みんな勝つ気しかなかった。前半に先制を許し、0-1。諦める理由にはならなかった。ただ、現実は厳しく、結果は0-3。悔しかったけど、涙はでなかった。もっとやれたと思った。出し切ったとは言えなかった。
引退という事実だけが突きつけられたまま会場を後にし、みんなでご飯を食べて温泉に行った。
芝柏サッカー部での6年間が幕を閉じた。
小さい頃とは違い、この6年間は楽しい思い出の方が多かった気がする。
高校時代のことを思い返すと最初に思い浮かぶのは、修学旅行とか文化祭といったビッグイベントではなく、うまくいった試合や、部活後のご飯である。
それだけ、サッカーというものの存在が自分の中で大きなものになっていたのだなと今となって思う。

第4章 ~大学入学から現在~

無事(?)に北大水産学部に合格(獣医は夏で諦めた)し、新しい事でも始めてみようかなと思いつつ新歓で鬼のように配られたビラに目を通してみる。が、惹かれるものがひとつも無い。カラフルにデザインされた紙がどれも白黒で味気なく見えた。
とりあえずサッカー部の練習に参加した。練習は覚えていないが、最初の新歓飯でゆうきさんを引き当てて入部が確定したのは覚えている。オリエンテーションで友達が1人もできなかった僕にとってはゆうきさんが輝いて見えた。興奮のあまりご飯の帰りにお母さんに電話で報告してしまった。
他部活の新歓にも行ってみた。競技舞踏のお姉さんに惹かれつつも、サッカー部への入部は揺るがなかった。
4月はかなり張り切っていた。半年のブランクを、体力を早く戻そうと焦っていたのかもしれない。自主練でラントレをした。これがまずかった。
人生初の怪我を負った。ダッシュ3歩目で右前ももに電撃が走った。肉離れだ。
1ヶ月の離脱。でも不思議と焦りを感じたりとかマイナスな気持ちにはならなかった。
リハビリを終え、意気揚々と復帰。けが人が多いこともあり、センバでトップにあげさせてもらった。
これもまずかった。
人生2度目の怪我を負った。今度は内転筋。慣れないポジション+高強度に体が耐えられなかったのだろう。
けが人生活にも慣れた。外からサッカーを観るのはまた違う楽しさがある。
総合的にみれば今の生活に満足している。
あとは、サッカーができれば完璧といったところ。

サッカー人生第4章はこんな感じでゆったりと進んでいる。が、ゆっくりしている暇はない。なぜなら僕は水産学部。残された期間は2年を切っている。第4章はこの2年間で終わるだろう。

2年後、サッカー人生第5章が始まるかどうかは、作者兼主人公の僕の気分次第だが、今は第4章を進めることに手一杯なので考えないでおく。

#けが人会@旭川

#血は争えない

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