粟﨑萌(4年/MG/国立高校)
北大サッカー部のマネージャーを引退した。高校からサッカー部のマネージャーを始めたから計7年間のマネージャー人生だった。選手のサッカー歴よりかは全然短かいと思うが、自分にとっては充実した7年間だった。
少し長くなるがこのマネージャー人生を振り返ってみることにした。
高校生の頃はずっと憧れだったマネージャーがやりたくて、仕事内容とか何も聞かずに入学式の日に入部すると言った。
1,2年のうちは同期とはあまり仲良くできなかったがマネージャーや顧問と仲良くなり選手を支える楽しさを学んだ。
コロナ禍になり最後の一年思うように活動はできなかったが最後の一年だったので同期となるべく関わってみた。自分から積極的に関わってみたおかげで少しは仲良くなれて卒業できた。
浪人一年を経て、北大に入学。大学では何か違うことをやろうと思っていた。しかしグラウンドに立ったあの日、またマネージャーをやって選手を支えたいと思った。そこからまた私のマネージャー人生が再開した。
北大のマネージャー生活は高校の頃とは一味違った。思っていたより人の入れ替わりが多いとか北大マネしか参加できない日が続くなど大変なことや不満がいっぱいあった。いっぱいあったはずなのにいざ終わって振り返ってみるといい思い出ばかりで大変だったことが全然浮かんでこない。それだけ充実した日々を送れていたんだと思う。
同期は個性的な人が多く、高校の頃よりか早く馴染むことができた。話しかけられなくても話しかけてもらえて気を使いすぎなくていいから心地よかった。けどどこかマネージャーだからなのか、踏み込みきれない自分もいた。
さて、自分はこの7年間を通してどれくらい変わったのだろう。マネージャーは選手みたいに目に見える成長や成果はない。けど自分の中で何か変わったとは思っている。
ありふれた言葉だが、周囲への気配り力や観察力、カメラの技術などは人一倍ついたと思う。思えば、「よく見ているね」と言われる機会が増えた。自分ではそんな注意深くみていたわけではないが無意識に見ていたらしい。
自分で特に変わったところはうまく説明できないが、よく自分の気持ちを伝えようとするようになったことだと思う。高校の頃は同期とうまく馴染めなくてもそのこと自体を同期に相談することはできず、周りに悩み相談するくらいしかできなかった。しかし大学に入って自分はこうして欲しい、これが嫌だ、もっとこうしたいなどの意思を伝えるようになった。さっき同期に対して「踏み込みきれない自分がいた」と書いたがそれは最初の方の話で、最後のこの一年は結構踏み込みきれていたと思っている。同期だけじゃなく先輩のマネージャーや時には先輩のキャプテンにも自分の意見をどうにか伝えようとしている自分がいた。自分がどうにかしておけばいいやと思っていたはずが、相手にも理解して欲しいと自分からコミュニケーションを取りに行っていた。ほんの些細な変化かもしれないが、自分からしたら大きな違いだった。マネージャーの自分もなんだかんだ成長できてたと気づいて今安心している。
目に見えない変化の中では何が正解なのかわからず、それをひたすら続けていくのは難しい。マネージャー生活はそんな状態だった。けど自分の中で何かは変わっている。だから諦めないでその何かを見つけるまで続けてみて欲しい。
最後にマネージャー生活は楽しいこともたくさんあったけど、悩むことも多かったです。マネージャーの後輩たちにはその悩みを共有できる誰かをみつけて抱え込まないで欲しいです。きっと悩んでいるのは自分だけじゃないから。選手のみんなはこれを読んで少しでもマネージャーに寄り添ってもらえたらとても嬉しいです。
岡田さん、高橋さんを始めOBや他大学の監督、援団応吹など多くの人に支えられて最後まで部活を続けることができました。ありがとうございました。
これからもマネージャーを、選手を、北大サッカー部をよろしくお願いします。
MG 粟﨑萌
