もう一度、サッカーで輝くために

松井航太(1年/DF/国際基督教大学高等学校)


はじめまして。今年度、北海道大学体育会サッカー部に入部しました、松井航太です。拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
初めてボールを蹴り始めたのは、5歳のときだった。きっかけは正直あまり覚えていないが、物心ついた頃にはボールと戯れていたのだと思う。最初は父親や弟と公園でボールを蹴るだけだったが、次第に成長するにつれ、小学2年生の頃には地元のサッカーチームに所属していた。
当時の自分には、今もなお抱えている悩みがあった。それは、あらゆる場面で周囲との認識や考え方にギャップを感じること、そして興味や関心の範囲が極端に狭かったことだ。一見すると些細なことに思えるかもしれないが、小さな自分にとっては、対人関係において大きな壁に感じられていた。この影響もあり、当時は周囲の子どもたちが熱中していたゲームやアニメに一切関心を持てず、友達もほとんどいなかった。結果として、週に2回ほどのサッカーだけが、自分にとっての心の拠り所になっていた。
小学校5年生のとき、自分の人生を大きく左右する出来事が起こる。父の転勤に伴い、家族でイギリスに移住することになったのだ。日本から遠く離れた“サッカーの母国”に行くことへの期待もあったが、それ以上に未知の土地への不安も感じていた。ただ、せっかくイギリスに来たのだから、サッカーは続けたいと思った。小さいながらも、新しいことに挑戦することは好きだった。家の近くには日本人が多く在籍するチームもあったが、あえてアジア人すらいないような現地のチームに所属することを選んだ。
この新しい環境で最初に突きつけられたのは、周囲との圧倒的な体格差と完全な実力主義の世界だった。特にアフリカ系のルーツを持つ選手たちは、身体能力や体の強さが群を抜いており、小さなアジア人である自分とは次元が違っていた。また、試合出場の判断基準も、日本のように規律や出席状況を重んじるのではなく、「上手い選手が出る、下手な選手は出られない」というシンプルで厳しいものだった。
言語面の問題も大きく、コミュニケーションは思うように取れなかった。能力や体力面でも周囲に劣っており、本当にしんどい時期だった。ただ、サッカーは言葉を超えるスポーツだ。時間が経つにつれ、徐々にイギリスのサッカーに順応していき、所属してから2年ほど経った頃には、ほぼ毎試合スタメンで出場できるようになっていた。2年という期間は長いが、それだけ充実した時間でもあった。
しかし、学校生活は順風満帆ではなかった。もっと自分を試してみたいという思いから、日本人が一人もいない現地校に進学したのだが、そこで人生でも三本の指に入るほどの大きな挫折を経験する。それは、対人関係における壁だった。唯一の日本人ということもあり、外見で目立っていた自分は、毎日のように嫌がらせを受けた。周囲の言動や態度から、自分に対する嫌悪感がはっきりと伝わってきた。英語という理解の及ばない言語で話されていたため、言葉そのものが直接胸に突き刺さることはなかったが、じわじわと心を蝕むような辛さがあった。
その頃、自分が軽度のASDおよびADHDの傾向を持っていることに気づき始めた。だが、そんな自分を支えてくれたのは、やはりサッカーだった。学校で嫌なことを言われた日、陰で悪口を言われているのを聞いた日でも、サッカーは決して自分を
裏切らなかった。
その後、所属していたクラブでコーチが退任し、メンバーがそれぞれ他チームにステップアップしていくことになった。自分もその流れで、より強く実績のあるチームに所属することが決まり、中学1年生の頃から再スタートを切った。当然ながら、そこにも日本人はおらず、周囲のレベルは格段に高かった。言語面の問題はある程度解消されていたが、体力や身体能力の面では依然として厳しいものがあった。出場機会もなかなか得られなかったが、日々の努力を積み重ねることで、徐々にチーム内での立ち位置を確保していった。
そんなある日、自分にとって大きなチャンスが訪れた。日本の全国大会のようなものではないが、イギリス全土のチームが集まる大規模なサッカー大会への出場が決まったのだ。プロ選手も過去に出場していた大会であり、自分にとっては夢のような舞台だった。当日、自分以外にアジア人は見当たらず、その場の空気に緊張したのを覚えている。
最初の試合ではベンチだったが、1日に複数試合が行われる形式だったため、次こそはと出番を待ち続けた。だが、どれだけ待っても自分の名前は呼ばれなかった。普段の試合では途中出場することもあったのに、その日は最後まで出番がなかった。大会が終わった帰り道、涙が止まらなかった。初めて、サッカーにおいて「絶望」を感じた瞬間だった。
高校受験を機に日本へ帰国し、高校では人との出会いに恵まれ、充実した日々を送っていた。しかし、サッカーに関しては、一年時からLSBとしてレギュラーとして出場していたが、目立った実績を残すことはできなかった。そもそもサッカーを目的に高校を選んだわけではなかったため、特別な思い出も多くは残っていない。
だからこそ、大学サッカーで再び一花咲かせたいという思いが芽生え、サッカー部への入部を決意した。現在は、浪人生活を挟んだ影響もあり、周囲についていくのがやっとというのが正直なところだ。浪人期には過度なストレスにより、体重が40キロ台前半まで落ちたこともある。それでも、ようやく掴んだ北の大地での新たな生活を実りあるものにしたい。
自分の強みは、単にサッカーのスキルだけではない。過去の経験値、そして見てきた広い世界が、今の自分を支えていると思っている。この先どれだけ苦しいことがあっても、過去の自分を裏切らないように、常に前を向いて進んでいきたい。

#40 松井航太

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