山口桜弥(1年/MF/日比谷高校)
こんちには。今回ブログを書かせて頂く1年の山口桜弥です。拙い文章ですがお時間がある方は最後まで読んで頂けると幸いです。
中学1年の頃、父の仕事の都合で砂漠の街に引っ越した。朝5時から爆音で街に鳴り響くお祈りの音楽。体に絡みつくような暑さ。その土地に必死に生きる人々。
全てが僕にとって新鮮で魅力的で、でもちょっぴり不気味だった。
その街のサッカーチームに入った。スタメンには8カ国の人がいた。イタリア、アルジェリア、UAE、レバノン、日本、、、もう覚えてない。特殊な環境だった。今は尚更そう思う。
練習は基本的に夜に行われるので比較的動きやすいのだが、向こうの人が本気で練習してる姿は見たことがない。逆に試合は真昼間に行われたりするのに急に上手くなったりする人がたくさんいた。僕は暑さでやる気を完全に抜き取られているというのに!試合の5分前に来て、サングラスをかけたまま試合に出てたくさんゴールを決める選手もいた。
全く価値観が違う人だった。そのこともあって深く関わることを避けてしまっていた自分がいた。
高校に入学しサッカー部に入った。進学校ということもあり勉強メイン、部活は2の次という雰囲気であった。高一の頃はだらだらと遊び半分でサッカーをしていたが学年が上がるにつれ本気でサッカーをしたいと思うようになった。
高2の終わり頃にチームをまとめる立場になり、都大会出場を掲げて必死に練習したが目標が達成されることはついになかった。最後の大会もあと一勝で都大会に出れるところまで進むことはできたが東京都予選で準決勝まで勝ち進む相手に大敗を喫した。
練習を塾、模試、筋肉痛など強豪校では考えられない色んな理由で休む人がいたりと、まとめることは非常に難しかった。そんな中でも一緒に切磋琢磨してくれた人達には感謝しかない。
ブログを書くにあたり振り返ってみるとなかなか特殊なサッカーライフを中高時代送ってきたように感じた。
”特殊”という言葉を頻繁に利用してきたがじゃあ逆に”普通”とはなんなのか。色々と考えてみたが、普通とは自分が頭の中で勝手に作り出したイデアであり幻想に過ぎないのではないかという結論に至った。普通な環境なんてこの世に存在しないのではないか。
例えば中学校時代、必死に練習していた自分こそ側から見たら特殊だったかもしれないし進学校に通ってるのに部活は頑張るのが普通だと信じてサッカーを第一に考えていた当時の自分こそ他の人から見て特殊だったのかもしれない(恐らくそう)。自分はその当時それを普通だと感じていた。
去年受験で物理を勉強していた時、自分のイメージとはかけ離れた運動を物体が行うことが答えになったことが多々あった。気持ち悪さを覚えた。数式ではそうだけどなんか腑に落ちなかったりした。たくさんもがいた。わからないものをわからないなりに分かろうとする努力を重ねていった。そうするとその気持ち悪さが気持ちよさに変わっていった。
学びとは本来そういうものなのかもしれないと思った。人は自分の理解し易い方向ばかりに向かっていってしまう性である。そんな流れに抗って自分が理解し難いと感じることに目を背けず考え続けることが成長に繋がるのではないか。
中高時代もっと周りの人たちから学べることはあった。自分が潜在的に”普通”だと思い込んでしまっていることを打開する機会はたくさんあった。
北大サッカー部には自分とは異なる経験をしてきた素晴らしい先輩方や同期がたくさんいる。この2年間の大学サッカー人生では自分が勝手に作り上げた前提を打ち砕いていこうと思う。そのためにも周りの人たちから少しでも多くのことを学んで1日も早く活躍できるように日々の練習から取り組んでいこうと思う。応援よろしくお願いします。
#74 山口桜弥