吉田光希(4年/FW/奈良女子大附属)
黄葉した銀杏が陽に反射して金色のトンネルと化している13条門にて、金葉祭が行われている中、私は大学生活の大半を占めていたものと別れることになった。
岩見沢からの帰路での車中にて、脳裏に蘇ったサッカー部での思い出と共に、引退直後に思ったことや感じたことを自己分析していく。
結論から言うと、とても満足した。
入部当初、Cチームに配属され、さらに練習試合にすら選ばれずそのメンバー外10人ほどで屋内運動場で練習していた。
昨シーズン学生リーグのメンバーに一回も選ばれず、Iリーグで少し活躍していた時に学生リーグレベルでは通用しないと言われていた。
しかし、入部当初の目標であった、学生リーグスタメン出場を果たすことができ、1部残留も果たすことができた。
総理大臣杯も準決勝まで進み、後1歩のところで全国が見えるところまで行くことができた。
結果的にトップチームの試合に出ることはできたが今シーズン順風満帆かと言われれば全くそんなことはなかった。
イメージ通りのプレーができず、そんな自分にフラストレーションが溜まることが多かった。
ベンチやベンチ外には俺よりも上手い選手がいる。
もちろんスタメンの中では1番下手。
試合映像を見ても、俺より上手い奴らが、俺より必死にチームのために走っている。
毎週この現実を直視していると、自分自身に絶望するのと同時に、気づいたら3年の頃まであった自信もすっかりなくなってしまっていた。
しかし、かと言って特に今シーズン、プロサッカー選手のように生活の全てをサッカーに注いでいたか?と言われればそんなことはないが、自分がやれることはやってきたという自負はあった。
院試勉強と並行して、ほぼ全ての練習や試合映像を見て、個人分析はしていた。
おそらく、人よりも多く練習前後や入浴後にストレッチを行っていた。
筋トレや心肺トレーニング、自主練も積極的に行っていた。
サッカーでのパフォーマンスには満足していなかったが、やれることはやってきた、という自負からか、必要以上に落胆することなく楽しく今シーズンを過ごすことができた。
だが、もちろん今シーズンも含めて、楽しくサッカーをやれたのは本当にそれだけが理由なのだろうか。
Cチームの頃に練習試合にすら呼ばれず約10人で屋内運動場で練習し、惨めな気持ちになった帰り道。
朝早く起きたのに、紅白戦にすら出してもらえず、不貞腐れながら端でボールを蹴っていた朝練。
諸事情で停部になり、再開の目処が立たなかった時の退屈な日々。
これまた詳細は省くが同期内でギクシャクしていた冬期間。
途中交代で出場するも、試合に入れず、さらにすぐにバテて赤っ恥をかいた国際大での2試合。
思えば辞めたくなりうる理由は沢山あったはずだが、北大サッカー部を辞めるという発想にはならず、楽しく過ごすことができていたのは何故だろうか。
何故か考え、しばらくした後に気づいた。
いや、最初から分かっていたはずだ。
サッカーを、いや北大サッカー部の全てが大事で好きだからなのだと。
先輩や後輩、もちろん同期を。
練習前後での談笑や練習後皆で食う飯を。
試合での熱量や緊張感を。
ボコボコの土グラウンドを。
朝5時半に着く薄暗い東雁来を。
朝練後に緑生い茂る大学構内を颯爽と自転車で横断する清々しさを。
白銀のメインストリートにて、息を白くしながらまた外でサッカーができる春を待ち望んだ冬練後の帰り道を。
オフに皆と遊んだ日を。
上手くいかなかった練習や試合さえも。
全てが充実していたからだったと、今この瞬間悟った。
しかし、もうこの日々を送ることはできない。
試合での疲れからか、回想に疲れたからか、もうこの日々を送ることができない虚しさ故か、はたまた満足したからなのかは分からないが、無意識のうちに瞳を閉じていた。
気がつくと既に日が暮れ、札幌に着いていた。
13条門では私の門出を祝うかの如く、金葉祭によりライトアップされた銀杏の葉が夜空とのコントラストも相まって一層金色に輝き、また多くの観光客で賑わっていた。
20時半からの打ち上げに間に合うよう、私は黄葉と人を掻き分けながら、自転車で帰路を急ぐ。
最後になりますが、技術指導してくださった越山さんや北大サッカー部の監督兼コーチをしてくださった、岡田さん、山田君、常盤君、北大サッカー部を支えてくださった岸さん、丸山さん、吉田さんをはじめとしたOBの方々、また応援団をはじめとした学生リーグや、総理大臣杯、Iリーグの応援に駆けつけてくださった方々、大変お世話になりました。
そして、同期をはじめとした私に関わってくれた北大サッカー部員ありがとう。
最高の大学サッカー生活でした。
#30 吉田光希