弱者の戦略

岸優翔 (1年/staff/市川高校)

こんにちは、一年の岸優翔です。今は分析官とコーチみたいなことをやっています。なんで選手をやらずにこういうことをやっているのかと、今感じていることを語っていきます。

サッカーを始めたのは小学1年生の頃だった。理由は他の人がプレーしているのを見てなんとなく面白そうだと思ったからだった。最初の頃はまだ7歳だし、ボールを蹴ったり追っかけたりするだけでも楽しいと感じていた。でも後から入った人に抜かされることが何回も起こって、そこで初めて自分が下手なことに気がついた。それでも物心もついてなかったし、あんまり気にせずに小学校低学年のうちは同じようにサッカーをしていた。そんな自分にも少しだけ自慢できるところがあった。周りの人たちよりもサッカーに詳しかった。ある時某有名サッカー雑誌を買ったことでサッカーを「見る」楽しさを知った。当時のヨーロッパサッカーといえば、ペップバイエルン強すぎるだろ、ユベントスとかいうチームがセリエ独走してるな、MSN止められるチーム無いだろ、なんてことを感じるような時代だ。少し後に繋がる話をすると、目を引くチームが一つあった。それは当時プレミアリーグを独走していたチェルシーだ。ジエゴ・コスタ、アザール、セスクなどのスター選手たちに夢中になった。しかし選手では無いのに、特大の存在感を放つ人間がいた。当時の監督のジョゼ・モウリーニョだ。尊大とも言える態度から来るカリスマ性、そして勝つことにこだわった切れ味抜群のカウンター戦術を持つ彼に憧れを抱いた。監督業に憧れがあるのは彼の影響が大きいのかもしれない。話を戻すと、友達とサッカーの話をする事も増え、サッカーの楽しさを魂で感じた自分は、高学年になってサッカーをより頑張りたい人のためのコースに通うようになった。そこにいた人たちは全員自分より上手だった。そしてそれは到底乗り越えられない壁なんだと子供ながらに感じた。努力では埋められない圧倒的な才能の差。それが最初の挫折だった。それでもサッカーはやりたかったので、どうせ無理だと諦めながらコースには通った。Aチームにはなれないけど、才能無いししょうがないやと、学習性無力感に取り憑かれたままその一年は終わった。次の年とっても厳しいコーチが来た。めちゃくちゃ走らされるし、怒られるしで本当にきつかった。でもその人は頑張っている人をきちんと評価する人でもあった。そのことに気がついた自分は負け犬根性を捨てて、本気でスタメンの座を狙いに行くようになった。そしてその頑張りが評価されたのかトップチームでも試合に出られるようになっていった。なぜかキーパーをやらされたりもしていたが、努力が報われるのは本当に嬉しかった。別に特段上手くなったとかそういうわけではないけれど、ちゃんと走るという基礎の部分を意識するだけで選手として一皮向けた。そして次の年またコーチが変わった。そのコーチは強豪チームから派遣された人だった。自分がいたチームは毎試合5点差で負けるような超弱小だったけど、そのコーチが来てチームは見違えるほど戦えるようになった。前のコーチが精神的な土台を作ってくれた。そして新しいコーチは「サッカー」を教えてくれた。分かりやすくいうと、技術とかセオリーといった部分だ。それまでの自分の中でのサッカーのイメージといえば、アメーバのように不定形のものだった。最適解があるなんて思ってもみなかった。でもコーチが教えてくれたことをやってみると上手くいく。あの1年でチームとしても個人としても随分と上手くなったと思う。けれどそこで自分が出した答えは「とにかくアグレッシブにやる」だった。聞こえはいいけれど、言い換えると「何も考えずにやる」。これが後々自分を苦しめることになる。おそらくコーチの教えてくれたことの本質を自分は理解していなかったんだと思う。何も理解していないからセオリーを丁寧に実行する意識も希薄だった。それでもチームが強くなったおかげで、本当の自分の実力を理解しないまま小学校時代は終わった。

中学でも当然サッカー部に入った。別にプロを目指すような人が集まる部活でも無かったので、最初の頃はスタメンで試合に出ていた。しかし何も考えずにプレーしていたので、上手くいくときは良いものの、失敗することも多かった。そして失敗を重ねるごとに弱気になっていった。次第に勝つことよりもミスしないことを優先するようになっていった。例えば前を向けるのにバックパスして怒られて、更に逃げ腰になったりと、酷い悪循環に陥った。そんな状況ではアグレッシブにプレーすることすらできず、何の長所も無い選手へと成り果てた。何をしても上手くいかないし、なるべくボールを受けないことを心がけた。中学が終わるまでそれは解消しなかった。サッカーも嫌いになっていたし、高校ではサッカーをしないことも検討していた。でも本心では悔しかった。もっと上手にプレーしたかった。サッカーへの恐怖に隠された情熱に気がついたことで、もう一度サッカーに挑戦する決意を固めた。

中高一貫校だったのでエスカレーター式に高校サッカー部に入部した。心機一転してからやるサッカーはとても楽しかった。イケイケな状況でプレーしていたので顧問にも少しずつ評価されるようになった。そんな感じで滑り出しはかなり順調だった。でもフィジカルと気合頼みのプレーが多かったので怪我をして3ヶ月ほど休まざるを得なくなってしまった。怪我をしている期間、めちゃくちゃサッカーしたかったけど出来ないため、サッカーを「見る」ようになった。怪物ロナウドやロナウジーニョの圧倒的なプレーに魅了された。そこで久しぶりにサッカーを「見る」楽しさを思い出した。彼らのプレーをするイメージトレーニングを重ねたおかげか、怪我から復帰した後は少しだけ上達したような気がする。しかしまたしても同じ壁にぶつかる。失敗を重ねると、逃げるプレーに走る癖が再発したのだ。でも今度は前とは違っていた。ただ絶望するのではなく、なぜ自分が上手くいかないのかを考えるという選択肢を持っていた。それぞれケースで失敗した原因は様々だが、根底にあるのは自分がサッカーを「知らない」からだということに気がついた。そこからはサッカーを楽しむためだけではなく、学ぶためにも見るようになった。そのすぐ後に受験期が始まったため、大した学びは得られなかった。だからいつかはサッカーを本気で探求したいと心の奥底でずっと思っていた。

そして大学に入って、サッカー部の見学に来た時に、そのチャンスがあることを知った。この機会逃すわけには行かないと直感した。そんなこんなで北大サッカー部に入部することになった。選手としてやりたい気持ちが無いわけではないが、このままやっていても同じ失敗を繰り返して上手くならないと思ったので、まずはサッカーを知ることに集中しようと思った、というのが今の立場にいる理由です。

ここからは今思うことを書いていきます。
自分の最終的な目標は選手がサッカーを楽に、簡単にプレーできるようにすることだ。サッカーは広いコートの中に22人も人がいて、なおかつ足を使う競技なので、カオスな部分が多く、中のプレーヤーからすればまさに複雑怪奇。当然よっぽど才能に恵まれた選手で無ければ、失敗は数多く起こるし、失敗を繰り返せばサッカーが嫌いにもなるだろう。自分もその一人だ。これ以上自分のような思いを誰もしてほしくないと、そう強く感じる。だからこそ知らなければならない。先人たちの知恵の集合であるセオリーを。試合中に最適解を考えるのは難しすぎるし、そもそもそんな時間はない。セオリーを叩き込んでおく必要がある。セオリーとは体系的に繋がっていることを知った。そしてそのセオリーの一番底、つまりは基礎の部分を選手の時には何も出来ていなかったことに気がついた。要は戦術と技術は密接に結びついていて、今まで自分、いやサッカーが嫌いになるほどミスを繰り返してきた人が持っていた技術とは、楽にプレーするための技術では無かったということを知った。スーパープレーはいらない。そんなものを前提としたサッカーはあまりにも難しすぎる。それなら楽にプレーするための技術を身につけるべきだと感じた。

次に選手の人達に向けて
おそらくこれから自分が考える練習メニューは退屈な基礎練習ばかりになると思います。それでも試合で使う技術を想定しているので、その練習を重ねれば、きっと試合中楽にプレーできるはずです。自分は選手としての実績も、多くの人を惹きつけるカリスマ性も何もありません。下手の横好きだという自覚はあります。でも失敗をしてきたという経験があります。才能が無いからこそどうにかしようと思う、その結果たくさんの知識を吸収することができました。下手な自分でも使えるような知識を、チーム全体に共有できたらきっと強くなれると思います。至らないところばかりだと思いますが、周りの手を借りながら自分も成長していきたいと思っているのでよろしくお願いします!

最後にボクシングの畑山隆則さんの言葉を借りてブログを締めくくろうと思います。
「僕はパンチが弱いんです。坂本選手はパンチが強いんです。僕はアゴが弱いんです。坂本選手はアゴが強いんです。だから、勝てるんです」

#岸優翔

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