決定的で致命的

及川大輝(3年/MF/広尾学園高校)

締め切りが今日の21時で今は17時。まだ何も考えていないから最初から振り返ることにした。

今年の12月で21歳になるが、生ぬるい人生を送ってきたと思う。小学校から大学に至るまで何かに困ったことはなかった。中学受験では、第一志望に落ちたものの、今思えばそんなに悔しくはなかった。合格した私立の中高一貫でも特に悩んだこと、困ったことはなかったと思う。最寄りのバス停からおよそ2分間隔でやってくるバスに乗り、渋谷で降りる。山手線に乗り、恵比寿で降車。日比谷線に乗り換え、広尾駅で降りる。学校に行けば、監獄のような教室で無機質な授業を受け、部活に行き、家に帰るだけだった。定期テストは平均点より少し上を取り続け、サッカー部では試合に出れないことはなかったし、恋愛で失敗したこともない(チャレンジもしていない)。毎日何をしているのかわからなかったし、自分がどこに向かっているのか考えても何も思いつかなかった。

学校は楽しかった。親友と言っていいほど仲が良い友人ができ、帰り道にはくだらない話をした。現代文の授業中に片山先生が藤田のロッカーが汚すぎて怒鳴り散らかしたとか、谷渕が数学の問題集を3周もしてもテストで赤点を取ったとか、インターナショナルコースの誰々が可愛いとか。部活動のメンバーとは大学になっても集まるくらいには仲が良い。部活動は週に3回で平日の放課後に2回、土曜日の4限後、西船橋のサッカー場でサッカーをした。学校のグラウンドは3階の屋上にあり、広さはフットサルコートくらいしかなかった。高一ごろに実際に試合で使われるゴールが初めてグラウンドに置かれたが、足のサイズよりもはるかに大きいランニングシューズで走るような違和感があった。今考えるとサッカー部とは呼べない代物だったかもしれない。実際、試合に勝ったことなんてほぼないし、提携校の女子校のサッカー部にも勝てない具合だ。でもボールを蹴るのは好きだったし、試合に負けても特に何も思わなかった。なんなら楽しかった気がする。東海大相模と戦ったときは、相手選手が空中でエラシコをしてきたし、都大会予選で戦ったチーム(名前なんて忘れてしまった)は全員坊主で、キャプテンがまた抜き職人だった。試合後にチームメイトから、相手の何番がうまかったとか、すごい性格が悪くて口も悪くて最悪だったとか、なぜか仲良くなったとかいう話を聞くのが好きだった。

そんな呑気な日々を送っていたが、大きな選択を迫られる時期が誰だってある。自分の場合は大学受験だった。今まで苦手な教科なんて保健と家庭科くらいだったし、やりたいことなんて特に何もなかった。でも何かしらの理由がないと大学受験なんてできなかった。大学に入ってから学部や学科を選べれば別に深いことなんて考えなくたっていいや、と思った。国公立でサッカー部に入ればそんなにレベルの高くないだろうし楽しそうだなとも考えた。だから最初は東大、東工大を目指していたけど、何かをやり遂げるような強い意志は探してもどこにもなかった。塾には通ったが、大して勉強していなかったと思うし、危機感もなかった。共通テストで700点くらいしか取れなかった時には、少し焦ったが、簡単に志望校を下げた。北海道大学は入ってから好きな学部、学科に行けるし、なんなら文転もできる。知らない土地で一人暮らしをするのも楽しそうだし、とりあえず行ける大学に行こう。旧帝大だったら困らないだろうし、最悪大学入ってからでもどうにかなるか。大きな選択だったはずが簡単に、深い意味を持たずに過ぎ去っていった。受験も特段苦労はしなかったし、なんなら上から数えたら早いくらいの入試成績で合格してしまった。こんなふうに、とても凡庸で、特筆すべきことは何もない18年間だった。

大学に入ってからは前述した通りに、体育会のサッカー部に入った。人生の転機だった。また試合には出れるだろうし、青森山田みたいに後輩が先輩たちを集合させて、もっと集中しろとかいうようなこともないだろうし、サッカーをすれば絶対楽しいと思っていた。しかし、そんなことはなかった。自分より遥かにサッカーが上手い人たち、自分より遥かに目的を持って、熱意を持って生きてきた人たちしかここにはいなかった。最初の数ヶ月は苦しかった。苦手なことは特になくて、冷静沈着、クールな及川くんはすぐに崩れ去ってしまった。やめようかと何度も考えた。ここにいたら、今までの人生を自分が肯定できない。試合にも全く出れずに、練習でも文句しか言われなくて、嬉しいわけがない。でもやめなかった。理由は間違いなく同期にある。何より、同期が一人残らず好きだった。大学生は授業も自分で選べて、バイトも自由。でもどんなに暑い日でも、雨が降っていようと週5回も顔を合わせていればそりゃあ好きになってしまう。しかもみんないいやつだ。今の悩みとか、将来のこと、全部こいつらには話せた。その中でもかなり決定的で致命的なものがあるから、書いておく。自分のポジションは中盤でとんでもなく上手い人がたくさんいる。そりゃあスタメンなんか取れやしない。どれだけ頑張っても届かない。そんなふうに思っていた。これが同期に話した時の会話。

S 「出れないやつは出れるように強くなる出れるやつは出て活躍すればいい」
俺「お前みてえに一生頑張れねえよ」
S「俺だって一生はきついけどあと2年は頑張る、あと振り返ってもっと頑張れたっていうのダサいから」

これのおかげで変わったと思う。今まで自分が自分がどれだけ甘えてたかわかった気がする。どこからどこまでが努力なのかわからなくて、努力をしたなんて言えるような人生を送ってこなかったけど、これからは全力で生きよう。そう思った。サッカーだけじゃない。友人関係だって勉強だって、全力を出せばいい。TikTokなんて見ている時間はない。全力で起きて、全力で勉強して、全力で部活をして、全力で寝なければならない。たまにはYouTubeを見たっていいし、Netflixで韓国ドラマを見たっていい。けど、自分がやりたいこと、好きなこと、やらなければいけないこと、全てに対して全力でぶつかることが自分にとってバイタルなものになっている。まるで、新入社員に配られるマニュアルのように。

これからどうなるか全くわからない。試合に出れるかもわからないし、彼女ができるのか、量子力学演習の単位が取れるのか、明日の実験結果のプレゼンがうまくいくのかもわからない。でもそんなことはどうだっていい。今やるべきことを、チームのために、自分のために、全力でこなしていくこと。それしか重要なことはない。

#48 及川大輝

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