主体的であれ

畠山基(2年/DF/FCトリプレッタY)

誰もがゆとり世代という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。ただ、ゆとり世代の正しい認識を持っている人は少ないのではないか?

ブログを書いている僕自身、この言葉を聞いたことはあったがどの世代を指すのかは全く知らなかった。あるサイトによれば、ゆとり世代とは「様々な経験を通して人間性を豊かにするゆとりを取り入れる」というスローガンのもと教育を受けた世代(1987年4月2日生まれから2004年4月1日生まれ)であるそうだ。そしてそんな彼らには受け身になってしまう、失敗を恐れる、周囲に合わせてしまうという特徴があるらしい。もちろんこれに当てはまらない人もいるであろうが比較的多くの人が当てはまっているだろう、過去の自分と同じように。

中学時代、高校時代の自分を振り返ると今と同じようにサッカーに対して真剣に向き合った一方で主体的ではなかったと感じる。

当時の自分は与えられたメニューを全力でがむしゃらにこなしていればサッカーがうまくなると思っていた。練習の日は最初から最後まで、とにかく全力で取り組んだ。

中高のクラブチームは自分よりうまいチームメイトも数多くいたし優れた監督もいた。

うまくなるための環境は確かにそこにあったはずだ。

ただ、高校サッカー引退時にサッカーうまくなったのかな?と監督に聞かれたとき

自分は胸を張って成長しましたとは言えなかった。もちろんフィジカル的には成長したし基礎技術は向上したはずだが自分がレベルアップできたと胸を張って言うことはできなかった。その最たる原因は、過去の自分が言われたことだけを体現する考えない選手だったからだ。

いわれたことしかできず、それ以上を求められない人間の成長幅が限られているのは明白である。

それなのに自分はそのことに気づけなかったし、当時は受け身な自分に満足してしまっていた。

はっきり言って情けない…

そんな自分が変われたのは北大サッカー部の環境のおかげだ。北大サッカー部は良くも悪くも監督がおらず選手中心となり練習や試合を行っている。

監督がいれば練習ではメニューや意図がすべて与えられ、うまくいかないことに対しては的確なアドバイスを受けられる。

ただ、監督がいないこの環境下では練習の意図を自分で考えないといけないし、自身のミスに対して正解、ヒントを自動的に与えられることはなく自分で試合映像を見て、考えて、自分なりに答えを見つけていかなければならない。それでも答えが見つからないときはサッカーIQの高い

同期に相談するなど、とにかく主体的に動かなければうまくなることができない。僕の大学1年目を振り返ると、同期(笑)の打矢と授業中に試合映像や練習映像を見てプレーの修正点を挙げたり、練習中アドバイスをそのまま飲み込むのではなく自分なりの解釈を加えてピッチで表現したり、

サッカーのことをより自分から考えるようになった。今までの自分になかった主体性が加わり一年間で高校三年分以上の成長を感じることができた。

「主体的」に動く、これはゆとり世代にとっては難しいことなのかもしれない。ただ、主体性によって得られる成長の幅は無限大だ。誰が練習を止めたり、発言したりしてもいい。監督がいない、これが「主体性」を引き出す北大最大のストロングポイントだと僕は思う。

#2 畠山基

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