色眼鏡

 もう4月だ。各々が進級したり,大学院に入学したり,就職したり,新たな生活を歩み始めていることと思う。その世界は,どんな色で見えているだろうか。豊かな将来や成功を思い描き,パステルカラーのようなあるいは眩しく光り輝いた色であろうか。はたまた,辛い将来や先の見えない不安に苛まれてモノクロのようなどんよりとした色で塗られているだろうか。

さて,「色眼鏡」。この言葉は先入観や偏見を持ってある物事を捉えた時に用いられる言葉だ。各人が新たな世界を見るときに学業や労働に対するそれぞれの先入観を通すことで先ほどの色が着けられている。いや,着けている。

こんな調子で「サッカー」という色眼鏡を通して世界がどんな色に見えるか少し振り返りたい。

自分は国立大学に行くことで体育会でサッカーができると思い,私大への内部推薦を受けずに外部受験という形で進学し,入部した。自分で掴み取ったサッカー環境だ,それはもう光り輝いて見えた。これ以上ないくらいの鮮やかさに目を奪われていた。4年経った今,もう一度どのような色をしているか見てみる。不思議なことに,そこにはもう鮮やかさなどない。鮮やかさを失うどころか色はもう見当たらない。4年前に見えていた鮮やかな色は全て混ざってしまっている。もちろん心当たりはある。この4年でパレットを持つバランスを崩し,出していた絵の具はいつしか徐々に混ざり合っていた。そんなことには気がついていたのに,見て見ぬふりをして新しい絵の具を出し直すこともパレットを洗うことも怠っていた。

そのパレットで世界を上塗りし続けていた。

 

俺は,弱い。

鮮やかな世界を保つために徹底することができなかった。自分を変えることができなかった。褪せゆく世界に身を任せてしまっていた。私は,何を得て何に貢献できたかわからないまま引退を迎えている。

最初に1回色を塗ることは簡単だ。だが,その色を塗り続けることは難しい。4年間かけて分かったことはこれだけかもしれない。

もう俺は,自分が選んだ事物を通してみる世界は鮮やかだと誇れるものであり続ける努力を徹底する。パレットを持つバランスが知らぬ間に崩れていたら,元に戻そう。少し気づくのに遅れて色が混ざり始めても,しっかりと新しい絵の具を出そう。

 4月からの生活は巷では新生活と呼ばれている。すなわち,自分で決めた道を新たに,或いは継続して進み始める月だ。

 みんなは今,世界がどんな色に見えているだろうか?

#1 牛崎裕大

 

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