サッカー部に入ってはいけない

卒業ブログは何のためにあるのか.
私が入部した2020年には既にサッカー部のブログが開設されていた.
1番初めに見た投稿は,当時の新2年生による新歓ブログであったと思う.

新歓ブログをはじめ,様々な記事が投稿されていたが,そのほとんどは外部に向けたサッカー部の紹介であり,「サッカー部を応援してもらうこと」「サッカー部に入部してもらうこと」が大きなねらいだったのではないだろうか.

私自身も浪人時代や入学前は北大をはじめとした様々な大学サッカー部によるブログの読者であり,ブログは入部を決めた一因でもあった.
  
(少なくとも私がブログを読んで入部を決めているのだから)ブログは新歓のツールの一つとしてある程度効果的であり,是非このブログを読んだ新入生にはサッカー部に加わってほしいと思う.

しかし,敢えてここで私は,北大サッカー部に入ってはいけない,と主張したい.

誤解してほしくないのは,私はサッカー部のネガキャンをしたいわけでも,他の活動の方が有意義である,と言いたい訳でもない.

私が主張したいのは,目的意識を持つことの重要性である.

目的のない決断や行動はその人にとってほとんどプラスにならない.もしくは成果を生み出しづらい.

受験やテストといったゴールがなかったとしたら,あれほど勉強に打ち込み,知識や教養を得ることができただろうか.
目的のないまま本を読み,その内容を自分のものにすることができるだろうか.

サッカーや部活も同じである.目的のないまま活動を行い,何かが得られるだろうか.

答えは全て否だと思う.

大学でもサッカーを続けたいと考える学生は,小中学生の頃から部活に心血を注いできただろう.
いつの間にか,サッカーが生活の一部になり,サッカーなしの生活が考えられなくなる.
本来積極的な判断のはずの入部という行為が,「今まで続けてきたから」「他に選択肢がなかったから」「入らないと何もしないことになるから」と消極的な判断となってしまうのはこのためではないだろうか.

なぜここまで言えるのか,と言うと,これがまさに自分に当てはまるからである.

北大サッカー部では年に1度,「なんでなんでなんで」とよばれる自己分析ゲームが行われる.
このゲームでは,少人数のグループに分かれ,入部した理由や目的について文字通り「なんで,なんで,なんで」と深掘り,各部員の持つモチベーションの根底にあるものを再確認する.

私は1年生の終わりの時に初めてこのゲームに参加した.
ルールの説明が終わり,どきりとする.目的なんて真剣に考えたことがなかった.
自分の番が回ってくる.
「辻野はなんでサッカー部に入ろうと思ったの?」

心の奥底の生臭い所まで深掘り,自分と真剣に見つめ合うことを試みる先輩方に「今まで続けてきたから」「たまたま読んだブログに触発されてなんとなく」なんて言えるはずもなく,即興でそれっぽいことを言いなんとかその場を凌いだ.芯のない自分に愕然としていた.

目的がないことを恥じ,バレたくないという安直な思いから適当にお茶を濁した自分に腹が立った.

しかし,幸か不幸か,コロナに伴う長期オフにより,内省し自分の目的を確認する時間を確保できた.

ここでは敢えてその内容について言及しないが,残りの期間はこの目的に向け充実した時間を過ごすことが出来たと自信をもって言える.

大学サッカーは順風満帆ではなかった.メンバーにはなかなか選ばれない.試合ごとに相手との実力差や自分の不甲斐なさを痛感する.調子が上がってきたと思いきや怪我をして振り出しに戻る.

このような苦しい期間においても自分を見失わなかったのは確固たる目的があったからだろう.

また,こうした自分の弱さ,芯の無さについて気がつくことができたのも,自分にとっての財産だと思う.
4年間で多くの気づきを得て,人としての成長を実感し,自信を持って引退することができた.

私はもう選手ではないし札幌にもいない.ただ,北大サッカー部のOBとして,北大サッカー部を応援する1サポーターとしてこれだけは言いたい.

目的意識の無い学生はサッカー部に入ってはいけない.

どんな目的でもいい.野心のある部員をサッカー部は待っている.

#29 辻野裕大

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