矜恃

西方詩竜(4年/FW/湘南高校)

2025.10.25
この日大勢の応援の中大学サッカー最後の試合を終え、明日出る人とは違い一足先に引退するはずだった。

しかし、次の日の学生リーグのメンバーに入ることができた。

メンバー選考をやる中で学生リーグのベンチ、特に前線の控えは決まり切っていないことは分かっていたのでこの枠を狙おうと思っていたし、実際周りにも滑り込むと言っていた。が、同時に客観的に考えるとまた入れないだろうと思っていた自分もいた。

学生リーグのメンバーに入るのは実に2年ぶりのことだった。

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思えばこの2年間は辛いことが多い期間だったなと思う。
ここでふと、昨シーズン3年目の時の開幕ブログを見てみる。後半2年間に比べると前半2年間はある程度結果も出てて前向きなブログになっているのが分かる。
次に今シーズンの開幕ブログを見てみる。ひどい違いだ。というか、当時の自分はよくこんな内容で出すことにしたなと思う。仮にも引っ張る側の人間が出して良いものか?とも思うがそんなことも分からないぐらいには当時追い込まれていたのだとも思う。

選手として振り返ると、試合に絡めなくなっていったのがなによりも辛かった。自分の目標はトップの試合に出て勝利に貢献することだったが、サテライトでベンチに入るかどうかの日々の中で、サテライトでスタメン出場に目標を下げざるを得ないことはすごく惨めなことのように感じられた。
そして今でも忘れることのないシーズン最終盤の自らもメンバー選考を務めていたIリーグ。サテライトより制度上試合に出やすいはずのなのにベンチに入ることすら叶わず、応援をしていた時期が4年間で最も底だったと思う。
4年目になってからも最終節までIリーグでぎりぎりメンバーに入るような序列なことが多かった。

しかし、この期間試合に出れないながらも1人の選手として成熟していく感覚があり、自分の意図したことや考えていることを上手く実行できるようになっていった。実際少ない時間でも試合に出れた時には、自分でもある程度納得できるプレーができていたと思う。だからこそ、それと反比例していくように減っていく出場機会に焦燥感や悔しさがより一層身に染みた。

そうして訪れたIリーグ最終節では、後半開始すぐにシュートを外してしまったことを除けば、会心の出来だったと言える。しかも、自分としては実力以上の力を発揮したということはなく、自分の意図通りのプレーができたという感覚だった。今までの積み重ねが実を結んだものだったと思うし、それで次の日のメンバーに入れたことは言葉にできないくらい嬉しかった。

選手以外のことで振り返ると、4年間で自分の足りなところに多く気付けたと思う。色々あるが特に、カリスマ性のなさと前で話すことの苦手さは特に実感した。
1年目の時に、井田君のキャプテンとしての姿を見ててその強烈なカリスマ性に惹かれた。自分もこんなキャプテンになりたいと思いつつも自分にはそこまでのカリスマ性はないことはすぐに分かった。
また、周りからはそう思われていないかもしれないが自分の意見を伝えるのはあまりうまくないと思った。自分の中では色々考えていてもそれを言葉にして100%歪曲せずに伝えるというのは意外にも難しいものだと感じることが多かった。それが複数人の前でとなるとさらに難しくなる。

逆にそんな自分の長所は何だろうと考えると、年目代表やチーム運営をする中で感じたのは人に頼ることができることだと感じた。自分は人に回せるものはある程度人に回すことができていたと思う。適材適所を見抜くのには自信があったし、これがあったから色々なことを乗り越えられたと思う。特に謹慎の時のこうたろうだったり、首脳になってからの周と流星だったりにはすごく助けられた。
人に頼ることは簡単なようで意外と難しい。頼るまでに、頼る人の選定・心理的ハードル・意図の伝達などを越える必要がある。ただ、組織として動くうえで一人で抱え込みすぎることは個人で見ても組織で見ても良いことではないから、難しいことでも人の上に立つ立場なら積極的に人は頼るべきだと思う。

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2025.10.26
2年振りの学生リーグメンバーとして、この日を1年前とは違い応援ではなく選手として迎えることができた。

会場に着くまでは前日の試合での打撲が結構痛かったりロータリー集合ではいつも通り遅刻しそうだったりと、特に久しぶりの学生リーグという実感はなかった。

しかし会場についてから、Iリーグでは使うこともない芦別の風景やそれにも関わらずの応援のために来ている多くの人たち、I リーグ以上に引き締まった雰囲気のアップなどのそれら全てから”学生リーグ”であることを感じることができた。その日は本当に最後の日であったが、選手としてはその状況にとても気分は高揚していた。

実際の試合では苦しい試合展開と名前が呼ばれることなく刻一刻とすぎる時間ですごい焦れていた。そしてとうとう最後まで自分の名前は呼ばれず、チームとしても敗北で終わった。

もっと早く序列を上げれていれば、岡田さんの信頼をつかみ取れていたら、もし自分が試合に出ていたら、など最後までたらればは考えてしまったけど、不思議と4年間もとい15年間のサッカー人生の積み重ねに満足している自分もいた。

高校の時は最後の大会で最後の試合の時だけメンバーから外れてて、大学ではその逆になったなと思った。どっちが良いというわけではないけど、大学4年間の自分の締めとしては最高のものでなくても悪いものではなかった。

p.s.

両親へ
僕はたいして上手くもないのに進路の時にサッカーのこと考えたりしちゃうような人だったけどそれでも特に文句も言わずに15年間不自由なくプレーさせてくれてありがとう。

岡田さんへ
社会人にもかかわらず多くの時間をサッカー部に費やしてサポートしていただきありがとうございました。特に監督業やメンバー選考などプレーヤーだけでするのが難しいことを手伝っていただいたのはとても助かりました。

高橋さんへ
高橋さんが示してくれた指針やいただいた情報のおかげで、僕たちがしたくてもなかなかうまくできなかった方面でのチーム強化ができました。またけが人対応のおかげで高橋さんがいるから不安なくプレーできた人や明確な復帰への道のりが見えるようになった人が大勢いました。1年間しかお世話になれなかったことを後悔するぐらい助かりました。ありがとうございました。

後輩へ
まずはそこまで上手くもないし前で話すのが得意でもない自分に、副将としてついてきてくれてありがとう。伝えたいこととしては、4年間通してうまくいかない時期があっても最後気持ちよく引退できたのは積み重ねができてたことが大きいと思う。だから、毎回の練習をどんな時でもように全力で行うようにしてほしい。そのためには、怪我をしない筋トレを含めた体作りや、自分の弱い部分と向き合うことなど大変なこともあると思う。でもどんなことでも自分の糧になると思うから一瞬一瞬を無駄にしないでほしい。

同期へ
こんな自分を年目代表として4年間色々なことを、みんなと乗り越えてきたのは本当に楽しかった。特に自分は言葉がうまいほうじゃなくて、自分の意図した以上に厳しい言い方になったり、すぐ悪口みたいになっちゃうこともあったけどそこは本当にすまん。
筋トレ組(設楽、益田、及川)や莉久には自分の生産性のない愚痴をよく言っていたけど、何気ないあの時間がすごい自分の支えでした。周には主将をまかせるというとても大きな頼りをしたけど、今振り返ると周を主将として俺と流星で支える形は1年間拙い部分もあったけどうまくいったかなとは思う。ほかの人にも自分が支えたり支えられたりですごい助けられた。
自分はだらけてしまうことが多い人だから、そうならないように筋トレの約束を取り付けたり、周りに自分のことを過大に伝えたりすることで自分が逃げない環境を作っていた。そんな自分にきつくあたって、たまには褒めてくれるみんながいたから最後まで走り抜けることができたと思う。

最高の同期でした。

これからもよろしく。

#9 西方詩竜

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