それでも俺は、

白石優多郎(4年/ⅮF/横須賀高校)

2023年3月1日

あの日のことは今でも鮮明に覚えてる。

膝の中で音がしたこと、痛すぎて全く立てなかったこと、前十字靭帯断裂じゃないことを祈りながらMRIで撮影をしたこと、丸山さんの車の中でたくさん泣いたこと。

その後の心の整理や手術もとても大変で、これほど困難な1年はもうないと思ってた。

そんな記憶に残る日付がもう1日できるなんて、シーズン前には露にも思っていなかった。

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みなさん、ごきげんよう。

卒論に追われている文学部4年の白石優多郎です。

これまで読んできた多くの偉大なる先輩方のブログに心動かされ、自分も最後にはどんな引退ブログを書いて引退するのか楽しみにしていました。でも、その当時思い描いていたものとは全く違う文章になりそうです。

長々と自分の話ばっかで申し訳ないですが、今年1年で経験したこととありのままの想いを全部書いたのでぜひ時間があるときに読んでください。

では、どーぞ。

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2025年6月22日

俺がサッカーを引退した日。

シーズン前からは想像つかないほど早く引退した。

シーズン前の五大戦からトップチームには出れていて、シーズン前半戦も全試合スタメンで出れていた。このまま自分は最終節、芦別のピッチでチームのみんなや両親たちに見送られながら同期達と一緒に華々しく引退するもんだと勝手に思ってた。

でも、終わりは急に訪れた。

上記の日付で行われた練習試合vs札幌光星戦。サイドハーフで出てた僕は、プレスバックするために全力で走って戻っていた。相手からボールを奪うため足を出した瞬間、前回怪我をした足と逆足の左足から嫌な感じがした。膝がストンっと抜ける感じ、全く力が入らないまま倒れ込んでしまい自力で立てなかった。

その時に薄々感じていた、多分前十字やったなって。

でもそんなこと言いたくなかったし受け入れたくなかったし、みんなと引退したくて元気に振る舞った。「大丈夫、大丈夫!ちょっと靭帯が伸びただけだよ。」って。

でも、その日の夜、就職祝いで焼肉を奢ってもらっていたけど膝がパンパンに腫れてしまって全く焼肉を食べれず苦しんでいた自分がいた。

一緒にいた萌(4年/MG)にはとても心配されたけど、強がった。

みんなと引退できないのが嫌だったし、最後までサッカーをやりきれない事実を受け入れたくなかった。その日は足を引きずりながら車を運転し家へ帰った。

次の日、整形外科へ行った。

ずっと祈っていた。神様どうか前十字靭帯断裂だけはやめてくださいって。診察中も、レントゲンを撮影してる最中もそれしか考えてなかった。

そして全ての検査を終え、診察室へ呼ばれた。診察室に入って言われたことを鮮明に覚えている。

「えーっと、君の左膝は右膝と同じだね。前十字靱帯が切れてるよ。」

言われた瞬間は意味がわからなかった。頭が真っ白になった。全く理解ができなくて、文字通り視界がクラクラした。そのあとで自分がもう引退が決まった事実を理解して涙が溢れた。

病院内では大泣きするわけにはいかなかったので我慢したことを覚えている。会計を済まし、友人に迎えに来てもらった。友人の車に乗った時、涙が止まらなかった。家までの帰り道に何があったのかすら覚えてないほど泣いた。

自分の満足のいくまでプレーすることも許されず、親や友人たちに北大を背負ってする自分のプレーをもう見せることができないことが悲しかった。そして、4年間を共に戦い抜いてきた同期たちと一緒に引退することができないことが決まったことが何よりも辛かった。

その日の夜は何も考えられなかった。これから何をしたら良いのか分からない不安、もう北大サッカー部としてサッカーをすることが許されないことに対する悲しみ、みんながサッカーできる事に対する嫉妬。色々な感情が渦巻いていた。そして、みんなとこれまで通り接することができるのか不安だった。

次の日のグランド練と朝練に顔を出した。

練習前までは頑張って明るく振る舞おうって考えていたのに、いざピッチに立つとみんなが羨ましいし今まで通りボールを蹴ることが許されないことが悔しかった。今まで経験してきた中で一番長かった練習だった。

このまま部活にいてもいい影響を与えられないなと思ったし、ちょうど手術もあったので休部した。

手術は前回と同じく北大病院で行った。2回目だから前回よりは楽だと思っていたけど、術後はとても苦しかった。前回と同様に寝ることができず、誰にも会えない病室で一人もがき苦しむ事しかできなかった。

入院期間中、孤独な病室で何度も泣いた。朝起きて目が覚めて、病室の天井が見える度に苦しかった。自分はどうしてここにいるんだろう。自分の居場所はココじゃないって何度も思った。でも、パンパンに腫れ上がった左膝を見る度に現実に引き戻された。理解したくなくて何度も泣いた。

次第に、自分を苦しめるサッカーを嫌いになっていった。

でも、そんな自分の心の支えになったのは、面会に来てくれる仲間達だった。

なんか色々持ってきてくれた後輩達。そして、たくさん来てくれた同期達。あのときはちゃんと伝えることができなかったけど、本当に心の支えだったし自分のメンタルがおかしくならずに済んでいたのは君たちのおかげです。本当にありがとう。

そして、入院期間と休部期間を経て、部活動に帰ってきた。練習にはできる限り行き、みんなの前では少なくとも以前と変わらず明るく振る舞った。

でもそれでも正直言ってかなり心が苦しかった。やっぱりみんなが羨ましくて仕方がなかった。練習前のシュート練習や鳥かごですら羨ましかったし、みんなと同じ土俵に立てない自分が惨めに思えていた。

毎練習中、少なくとも1回は「俺は今ここでなにをしているんだろう」「なんでプレーしてないんだろう」と思った。楽しそうにサッカーをしているみんなとサッカーができない自分をどうしても比べてしまう。練習中の孤独な時間はとても苦しい。ピッチの外に置いてあるベンチに座っている自分が惨めに思えてくる。ピッチの中で貢献できない自分がこの組織に所属している意味、グラウンドでただ練習を外から見つめて帰るだけの日々を過ごしている意味がわからなくなった。

そんな思いを感じながら、毎練習車を出してピッチに行くことに意味があるのかを考えたりもしていた。

グラウンドに向かう車の中、練習を見つめいているとき、寝ることができない夜、色々な事を考えて、色々な事を思い出した。

3年前、あの極寒の苫小牧での入れ替え戦。4年目の意地で1部残留を果たしたこと。

2年前、東雁来での学生リーグ東海戦や岩教でのアイリーグ岩教戦で見た4年目のこと。どっちもあと少しで勝てそうな試合で、強敵相手にもここまでできるんだと自信を与えてくれた。

1年前、アイリーグ道都戦やチャンピオンリーグでの北翔戦。どっちも4年目の活躍で勝った。試合に出れなくて悔しいはずなのに全力で応援し一緒に戦っていた。

自分にはできる事がきっとまだある。そう思えた。みんなで最高のハッピーエンドを作るために自分ができる事を頑張れるだけ頑張ろうって思えた。

メンバー選考の為に練習を見る事だけじゃなく練習中のボール拾いやいろんな場面での声かけ、積極的にVEOの準備をしたり準備をしてくれるマネージャの手伝いでも。何か自分にできる事が無いかと思い、いつも行動した。

それでも、みんながプレーしてるのを見て、悔しくて情けなくて羨ましくて、そしてもどかしかった。試合前に極限まで集中力を高めて試合に挑む準備をしている姿、苦しい状況でもがむしゃらに戦っている姿を見て、自分だけあの日から取り残されている感じがした。勝ったあとのみんなの表情や雰囲気、一体感、試合前日のナイスゲームですら自分だけが混ざれていない感じがした。負けたあとの静けさ、己と向き合い、次に向けて良い準備をしているみんなを見て、自分には何もできることがなくて自分の存在意義を見失った。試合前、モチベーションを上げるために聴いてたプレイリストを開くことはなくなった。サッカーに関する話題は耳に入れないようにした。あんなに大好きだったリバプールもあまり見なくなっていった。

一人になるとたまに涙が出てくる。なんで俺なんだろうって何度も思った。これが全部悪い夢だったら良いななんて何度も考えた。夜寝る前にサッカーの事を考え頭がいっぱいになることもあった。できるだけ考えないようにしようとした。それをしようとすればするほどサッカーの事が頭の中を巡る事もあった。

選手としてもっと北大の為に貢献したかった。許されるのならもう一回北海道一部の舞台で試合をしたかった。もっと自分の納得のいく形で引退できると思っていた。何の後悔も許されずに6月にサッカーを奪われるなんて思いもしなかった。

そんな自分がこの部活にいる理由は同期だけだった。自分は納得のいく形で終わることはできなかったけど、せめて、せめて同期達が納得して終わる姿をこの目で見ようって。あいつらが満足して笑顔で終わる姿を一番近くで見ていようって思った。

もう自分にはそれしかなかった。

そう覚悟を決めたあの日からは、部活に行くのが少し楽になった。

メンバー選考の為に真剣に練習を見ながら、4年目の良いプレーがでると嬉しい気持ちになった。

みんなラストイヤーだからか真剣に取り組みつつも、どこか楽しそうにプレーしていた。前までの自分だったら嫉妬しかしてなかっただろうけど、そのときは嬉しかった。このままみんなが満足して納得して引退できれば良いって思ってた。

そうして迎えた、2025年10月25.26日。アイリーグと学生リーグの最終戦だった。

結果は一分け一敗だった。悔しかったし何してんだよって気持ちもないわけじゃなかった。

でも、みんな清々しい顔をしてた。涙を流しながらも満足してた。それを一番近くで見ることができてとても良かった。なんか救われた気すらした。そうしてみんな引退した。

確かに17年間の自分のサッカー人生は全く想像もしていない形で終わりを告げた。

結局、自分が立てた目標も、チームで立てた目標も達成できなかった。正直後悔しかない。

こんなにもサッカーが自分を苦しめるなんて思いもしなかった。

それでも俺は、ここまでサッカー続けてきて良かったって心から言える。サッカーを続けてきてからいろんな感情に出会えたし、最高の仲間達に巡り会うことができた。

大府FC、緑東FC、横須賀高校、そして北海道大学サッカー部。いつの記憶を思い出しても楽しかった事しか思い出せないし、そんな最高な時間を共に楽しませてくれたみんなには感謝しかない。

そしてこの23年間の人生の中で最も辛く、一番泣いたこの1年間がきっと自分を強くしてくれたとみんなの前で言えるように、次のステージへの一歩を大きく踏み出したたいと思います。

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最後に感謝を

岡田さん
忙しい中あそこまで北大サッカー部に携わっていただきありがとうございました。メンバー選考などで大変扱い辛い存在だったと思いますが、いつも真剣に話し合っていただいてありがとうございました。奥さんに怒られないギリギリのラインを攻めながら今後も関わってください。

高橋さん
北大サッカー部の為に全力でサポートしていただきありがとうございます。今シーズンは高橋さんのおかげで怪我人が少なくとても良いシーズンになったと思います。これからも北大サッカー部への手厚いサポート期待しています。

先輩たち
自分がとても可愛げも無いし、扱いに手のかかるめんどくさい後輩だったろうに色々面倒見てくださりありがとうございました。自分が前十字靱帯を断裂したことを報告した際にたくさんの励ましのメッセージをもらえてありがたかったです。またたくさん飯連れてってください。

後輩たち
とっつきづらい先輩で本当に申し訳なかったです。基本的に後輩は好きなのでいつでも連絡ください。これから新シーズンに向けて色々大変だと思うけどほどほどに休みながら頑張れ。来年からは北大サッカー部の厄介ファンとして頑張ります。飯誘ってくれたら予定合えば行くのでよろしく。

家族へ
直接感謝を伝えるのは恥ずかしいから、どうせこの文章を見ているだろうしここに記します。3人のおかげで何一つ不自由なくサッカーを17年間もすることができました。本当にありがとう。愛知にいるときは毎週のように試合見に来てて正直ウザいなって思うことの方が多かったけど、北海道に来た今は家族が自分の頑張っている姿を見てもらえるありがたみが良く分かりました。これからも色々あると思うのでしっかり親孝行をしたいなって思ってます。本当にこれまでありがとう。

同期へ
まずは4年間本当にありがとう。この代で4年間を過ごすことができたのはほんとに幸運なことだと思っています。シーズン中はいやほど会っていたのにこうして部活が終わってしまうとこうも会わなくなってしまうのかと悲しい気持ちになっています。来月フットサルで集まれるのが楽しみです。これまでとは比べものにならないほど色々な事を語り合って色々な事を経験してきたと思っているので、毎年集まれたら集まりましょう。んで、ボール蹴りましょう。あと俺の引退試合もやりましょう。俺が企画するのでみんな来てください(笑)。まだ北海道にいる間にたくさん遊びましょ。全員ほんとに最高だったぜ。

これまで自分に関わってくれた皆様に感謝を伝えて終わりにします。
ありがとうございました!!!

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前十字靱帯断裂して愛知帰ったある日の夜

友人A「たろゆーこれからサッカーどうすんの?」

俺「うーん。まあもうやらないかなー。意外とサッカーない生活も楽しいんだよね」

友人A「ふーんそうなんや。まあちなむと、あんた中学の時も高校の時も同じような事言ってたけどね」

#63 白石優多郎

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