永田淳(1年/DF/修道高校)
ジュンと呼ばれると純一さんか自分かわからなくて困ってます。経済学部一年ナガタジュンです。文を書くのは苦手ですが、ブログを書かせていただくにあたって自分のこれまでを振り返りたいと思います。
小学生の時は何も考えずにサッカーをしていて最後の大会は県の準々決勝でサンフレッチェ広島ジュニアに敗北したが、別になんとも思わなかった。その日から中学受験に本腰を入れることになるが、小学生の頃の自分には勉強なんてめんどくさくてやってられず、受験は2敗して地元でそこそこの中学校に進学することになった。
中学校のグラウンドが人工芝なこともあってサッカー部に入った。中学での初めての大会は自分の地元の中学校に市大会の決勝で負けた。本当に悔しかった。その悔しさもあってチームで中学選手権中国地方ベスト8を目標に掲げて突き進んだ。結果は全国ベスト32まで行けたのだが、中国大会決勝で高川学園に大敗し、全国一回戦の相手に先制しておきながら5失点を喫した。中学の3年間はそういった非常に強い刺激を受けながらも、勉強、サッカー、遊びに全力を注げてとても楽しかった。
だが、高校に入るとみんな燃え尽きたのか部活に対するモチベーションが下がっていって自分もその波に飲まれてしまった気がする。小・中と楽しいサッカーを続けていられたが、高校でのサッカーはなんとなくダルさが勝っていた。そんな感じで高校の2年間を終えて、高3になる前の春休みの試合で膝の靭帯を損傷してしまった。担当医には最後の大会に出れないかもしれないと言われた。まじか…とかそういった感情は浮かんでこなかった。”やっとサッカーが終わる”リトルナガタは少し思った。そこからはなんとなくリハビリと部活のサポートに追われる日々が続いた。病院の診察やリハビリの待ち時間は自分の無力さを痛感し、とても憂鬱だった。4月になり最後の大会が始まった。チームメイトが全力を尽くして勝ち進んでくれたおかげで県大会に進出し、2回戦から出ると担当医と話し合って決めた。結局、2回戦では60分で足に限界がきて途中交代し、そこから2失点を喫して負けた。結局のところ、サッカー人生がこんな形で終わってしまうのは微妙に思えた。そんなことを考えながら受験勉強に移ったわけだが、中学受験の時のように全然勉強に身が入らないまま受験を終えた。前期の大学には落ちた。親への申し訳なさは感じたが、悔しさはあまり感じなかった。
大学に入るにあたって人生を振り返ってみると、自分は浮き沈みが激しくて努力が足りてないと感じた。サークルでサッカーをやったり、ライブに行ったり、旅行に行ったりする自由な大学生活を送るという選択肢もあったが、人生最後の学生生活で本気の勝負をしたい。
そんな気持ちが強かったので北大サッカー部への入部を決めた。大学の4年間は、北の大地から日本を熱くできるように頑張ります。
これから4年間よろしくお願いします。
#じゃけえ
#83 永田淳