蒼くなる

田淵慶一朗(4年/MF/神戸)

つるは長いし、やぶは短い。

みなさんこんにちは。

北海道大学サッカー部4年生の田淵慶一朗です。

まずは日頃より北大サッカー部をサポートいただいている関係者の皆様に御礼申し上げます。私たちは運営こそは学生主体で行なっていますが、皆様のご支援、ご協力の上で活動は成り立っております。皆様のおかげで今シーズンを無事終えることができました。重ねて感謝申し上げます。

さて、同期のブログはまだチラ見程度ですが、それぞれ個性が出ていますね。まだ読んでいない人は4年生の最後のメッセージですのでぜひ一読いただければと思います。

自分はどのようなブログを書こうかといろいろ考えましたが、自分らしくラフな文章で表現させてもらいます。

大学でサッカーをするのは難しくなかった。一度くらい、サッカーを続けるか悩むものだろうが自分にはそんなタネはなかった。

「サッカーはやるもの」

つまりサッカーは生活の一部であり、やらないという選択肢がない。そういう考えがあったからだ。それで入学して間もないころ、気づけば練習体験のために東雁来のグラウンドにいた。そして入部していた。

でもGW明けたころに活動停止期間があり、サッカーを再開したばかりなのに少し離れると足が重くなっていた。モチベーションという言葉は好きではない。大抵言い訳に用いられるから。でもこのときは本当に米里のグラウンドが恐ろしく遠くに感じて、義務感のあるサッカーに一瞬嫌気がさした。モチベーションの低下というものなのだろうか。学部移行への不安感もあって、休部することにした。

休部したことに対して、復帰したてのころはもったいない時間を過ごしたような気がしていた。休部期間がかなりのフィジカル低下をもたらして、北大での初めての試合では90分という時間の長さに絶望するレベルだった。フィジカルが原因で思うようなプレーができないたびに後悔する時期もあった。でも今はいい決断だったと思う。あの期間がなければ、サッカーを楽しいと思いながらプレーできていなかったし、もしかしたら最後まで続けてなかったかもしれない。

そんな経験があるから、同期や後輩たちがほぼ毎日練習や試合に参加しているのを見てとても感心していて、優しく迎え入れてくれた同期や先輩たちには感謝している。特に嶽さんには入部するときも、そして休部から復帰するときも自分をサッカー部にひっぱり出してくれたことを感謝している。

そこからといえば、いろんなことがあった。

腰痛持ちになるとか、神山がバレーして怒られるとか、事務局長になるとか、内海カーが爆誕するとか、首脳になるとか、春香がビブス拒否するとか。重大な問題も経験した。

サッカーに関していうと旭教大との入替戦や東北大との定期戦、岩教大との大臣杯準決勝など記憶に残る試合は数々。その中でも一番楽しかったのは去年のチャレンジリーグかな。あの緊迫感が堪らなくて、どんどん良くなるチームを肌で感じることができた。競争なくして成長はないと思っている。チーム間だけでなくチーム内でも。後輩たちにはもっとチーム内での競争を生んでいって、あれ以上の緊迫感のなかでインカレをかけて戦ってほしい。それがさらなる成長につながるし、みんななら間違いなくそのステージに立てるから自信をもってがんばれ。期待しています。

10/27の引退試合。両親が試合に来てくれた。旅行も兼ねてではあるが、わざわざ地元から来てくれると聞いたときはうれしかった。

幼少期から父が大学サッカーの仲間と関わる姿を見てきた。きっとそのバックグラウンドが大学でも「サッカーはやるもの」という思考に繋がったのだと遅ればせながら最近気づいた。

高校の同級生で体育会サッカー部に入ったやつはいないし、中学のチームメイトでもみんなが続けているわけではない。そんななかで自分に北大サッカー部に入るという選択をして、たくさんの経験を得ることができた。

いい経験も、しんどい経験も。

サッカーも、サッカー以外も。

大学でもサッカーをするという選択に導いてくれてありがとう。見納めに来てくれてありがとう。直接は言える自信がないのでここで。

最後の試合少しくらいダメ出しが欲しかったな。言われたら機嫌損ねてたかもしれないけれど。

同期や後輩たちに伝えたいことはスピーチにて話そうと思います。ひとまずこれくらいでブログは締めさせてもらいます。

北大でたくさんの人とサッカーできて楽しかった。今までありがとうございました。

それではまた。

#16 田淵慶一朗

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