サッカーが僕にくれた贈り物

鶴本海人(4年/DF/札幌第一)

~はじめに~
 みなさんこんにちは。北海道大学体育会サッカー部四年の鶴本海人です。今回のブログは約10000字の超大作になっております。読みずらかったり、拙い言葉遣いなど多々あると思いますが、どうか暖かい目で最後まで読んでくださると嬉しいです。非常に長いので適宜休憩を取りながら目を休めつつご覧ください。

 引退。
この2文字が現実味を帯びはじめたのは最終戦前日。アイリーグメンバーの4年目がラストマッチを終え勝利に酔いしれている時だった。
応援を終え昼飯を食って自宅に到着し、次の日の試合の準備をしていると唐突に寂しさが襲ってきた。なぜこんなに寂しさが込み上げてきたのか。おそらくこんなにもサッカーに向き合ったのは大学だけかもだから。それくらい必死にもがいて足掻いた4年間だったと振り返ってみて強く感じる。
 夜は全く寝れなかった。次の日起きた時の気持ち悪さったらありゃしない。ベストとはいえないコンディションで最終戦に臨むことに。
 試合会場へ到着。ルーティンをやって準備は万端。かと思いきやまさかのユニフォーム紛失。正直焦りはしていなかった。なぜなら家から持ってきていることは4回確認していたから。しかし、念には念をということで親に電話と自分はアップがあるから当番校に来ていた部員、マネージャーたち(まじで探してくれてありがとう)にお願いして探してもらった。荷物の中も全部見た。探してくれてた人たちからどこにもないと聞こえた。おわったぁ。最終戦出れない。ここでは流石に焦った。しかし気づいてしまった。まだ探していない荷物があると。それはグラウンド内の荷物だ。いざ探してもらうとなんと7番の緑ユニ!さぁ誰だ。と思ってると田淵だった。流石に笑った(春香はめっちゃイライラしてたけど)。田淵が隣で着替えていたから持っている気がしてたら、案の定当たってた。俺は怒ってないよ田淵。うん。
 まぁなんだかんだありコンディションは今までの中で最悪くらいの勢い。気疲れと寝不足でやられそうだった。試合開始。普段ならっていうシーンがめっちゃあった。流星にも試合中何回もブチギレられた。まじ迷惑かけたごめん。前半はチャンスたくさん。が決めきれず。逆にとくにこれといったピンチはなく0-0で終了。

 後半は開始早々応援組がチョケた個人チャント歌ってくれた。めちゃくちゃ笑った。田淵がニヤニヤしてた。振り返るとあれのおかげか後半はちょっと調子を取り返せた気がした笑
 後半16分、ついに試合は動く。途中出場よっしーのカットインからスルーパス、こはくが受けて中にクロス。その先に待っていたのはしおん。しおんが決め1-0。正直誰決めるよりも嬉しかった。なんでかって今年の開幕戦からずっと決めるの楽しみって言ってた選手だから。普通に泣きました。しおん最終戦にあれ持ってくるのは持ってる男やな。最高でした。 
 このまま試合終わらないかなーと思ってた矢先後半40分、コーナーからオウンゴールで失点。あ、やばい、負けが一瞬過ぎった。でも北翔戦には数々のドラマがあった。前期リーグでは自分が後半ATに身体能力を活かした華麗なボレーシュートを叩き込み1-1の引き分け。大臣杯では同じく後半ATでこはくが値千金の決勝ゴール。後期のリーグ戦では後半ATに相手に不意を突かれ失点。岡田くんの代では後半ATに2-1となる決勝点を奪取。なんか起きるんじゃないかという期待と不安が同時に襲ってきた。
 そして後半46分。よっしーが一枚剥がし中へクロス。ファーで待ち構えていたのはまさかの神山。豪快にヘッドを叩き込み2-1。嬉しすぎた。しかもなかなか出番がなかった神山がここぞで決めてくれた。自然と涙が溢れてきた。やっぱ神山も持ってた。4年目が試合を決定づけるというまさかの神展開が待ってた。
無事試合は終了。最高の勝利。劇的勝利だったから余計嬉しかった。
 個人成績としても今年は有終の美を飾れたと思う。公式戦3ゴールに加えて優秀選手の票を1票だけもらうことができた。4年間の中で1番プレーの質が高かったわけではない気もしてるけど、満足はしている。
 試合後の年目会が終わり翌日朝自宅に着き眠りについた。目覚めたらまさかの16:00。そこから引退のインスタをあげるべく写真を見繕っていたらいろんな思い出が込み上げてきた。今年1年間は特に濃かった。チーム分裂になるくらいの出来事、それ以降の対応、同期とのギクシャク、個人的には初めての東京遠征、シーズン開始とともに始まったバカみたいに疲れる実習、練習試合、開幕戦、学生リーグ2戦目となんか連続ゴールも決めたり、色々とやらかしたり、TikTokに出演したり、無回転、縦回転をある程度蹴り分けれるようになったり、とまじで色んなイベント事がありすぎて、喜怒哀楽も激しくて漫画の主人公くらいの濃い人生を歩んだ。全部がいい思い出といえば嘘にはなるが、総じて楽しい4年間だった。この楽しかった4年間の中で私は自分自身と向き合う機会が沢山あった。せっかくの機会なので赤裸々にそこで得たことを書いていこうと思う。

 自分は今まで完璧主義者として生きてきた。これは4年間ですごく感じた。競技スポーツをやる以上、競争、勝ち負けも絶対に存在する。No. 1を常に意識するので、プライド、劣等感が生まれやすいのがスポーツ。(男の子の方がプライド高くなりやすいのはスポーツやってるかららしいよ。)そんなスポーツを幼稚園から続けてきた私はまさに劣等感、プライドの塊だった。これに拍車をかけたのはおそらく自分自身今までこれといって本気で取り組んできたものはなかったことだろう。
 サッカーのことに関していえば、サッカーをやってた期間こそ16-17年と長いものの怪我で離脱していた期間も長かった。肩の骨折2回でトータル5ヶ月、腰の腰椎分離で1年3ヶ月、足首の捻挫で1ヶ月、前十字靭帯断裂、半月板損傷で10ヶ月。この中で繰り返したものもあるのでサッカー人生16年(年長〜大学4年)の中で6-7年くらいは怪我してたんじゃないかな。しかも俗にゴールデンエイジって呼ばれてる期間はずーっと腰のせいでサッカーができていなかった。そりゃ下手だよね言い訳だけど。
とこんな感じで【もっとサッカーできてたら、プロにもなれたのに】とか【怪我しなかったら】とか後悔の念が強く残ってた。だけど一生懸命サッカーに向き合うことはできてなかった。なぜか?恵まれた身体能力だけはあったからそんなに頑張らなくても余裕でスタメンで出れてたし、中学でも気づいたらスタメンになれてたし、大した努力もしていないのに、高校では全国大会とか選手権の道大会決勝に出てテレビに映ったとか他の人から羨ましがられることは多かった。自分はすごいんだと周りに認められるのは素直に嬉しいことだし、だけどそれが余計に自分の中の劣等感を育んでいることに当時は気づくことができなかった。
 学業に関しても大した努力はせず、サッカーを選手権までやって11月から3月までの4ヶ月間の勉強だけで北大には受かることができた。それ以外にもテストは勉強しなくても大体上位に入れたし、(一位を取ったことはない)勉強で困ったことが一度もなかった。これも劣等感を育む要因だった。なぜならもっと勉強すれば常に一位も取れたって自負があったし東大だって夢じゃなかったんじゃないかって。

 だけど僕は一生懸命やろうとしなかった。一生懸命に何かに取り組むことに恐怖心と同時に羞恥心、侮蔑の心を持っていたから。一生懸命頑張ることは頑張ってるアピールになるから、俺は陰で努力する方がかっこいいと思うから陰で努力しよう。一生懸命はダサい。一個のことに集中すると周りが見えなくなる、自分が自分じゃなくなる気がすることへの恐怖感はずーっとあった。
 一生懸命に対してここまでネガティブなイメージを持ってきた背景には自分が一生懸命に取り組んだ時必ずでかい壁にぶつかってきた記憶があるから。中学時代全部がうまくいかなかった時、高校で部活の仲間から後ろ指を指された時。僕がぶつかった壁は言うなれば【人付き合いの壁】。僕はみんなのイメージがどうかは分からないけど、人付き合いは得意な方で誰にでも分け隔てなく接することができ、心が常にオープンだ、正直、素直だと思われることが多い。友達って呼べるのか分からないけど付き合いがある人たちは広く浅くって感じだった。だけど実際は表面上だけでこれといって仲良いって思える人はいなかったし心の底から信頼できる人はいなかった。本音を誰かに話したい、信頼したい気持ちはあった。けど、心を開いている風だった。これはぶつかった壁達が信頼したい気持ちを踏み躙ってきたからだ。壁にぶち当たるたび周りから人が離れていったから。僕は人を信じやすいから、初めの期待値が高くてちょっとしたことでも裏切られたと思って、また人を信じれなくなって別の人を信じたくなって。そんなことを繰り返してるといつしか誰にも心を開かなくなった。悩みを抱えた時も自分はずっと1人で解決してきてたから他の人に頼るのは弱い人だからだ、とか自分は強いから大丈夫、相談したって変わらないって思ってた。
 大学に入ってからは自分を変えたい!って強く思ったこともあって比較的心をオープンにできるようになった。でも、やっぱり僕の前には壁が現れた。3年生の冬。部活に関することだ。(詳細はわざわざ書くことじゃないので省略)あの時が一番しんどかった。何が正解かもわからないし、意見の食い違いもあったからすごく難しかった。あれ以降かな。自分の性格がまた心を閉ざす方向に進んでいったのは。今までの人生で僕は人付き合いにおいて良かった、うまくいったと思たことは一切ない。だから心の拠り所を新しく出会う人たちに求めていたのだろう。
 このこと(本当の意味で心を開けていないこと、自分が強がってるだけで本当は弱いこと)に気づけたのは本当に最近だ。正直それに気づいた時はなんでこんなことにもっと早く気づけなかったのか、あの時こうしてれば…。色々と思い巡らせたが過去は変えられない。それに気づいた時から僕はちょっとずつ自分を分析、客観視できるようになっていた。そうすると意外にも信頼できてた人、これからも信頼できる人はいたのだ。それに気づけた時の安心感はこれまた何物にも変え難かった。それからの自分はちょっとだけ好きになれた。今まで自分は大嫌いだった。何もかも中途半端。弱いくせに強がる。そんな自分を好きになるきっかけをくれた人達にとても感謝している。本当にありがとう。
 一生懸命やることに臆病だった自分は今はいない。強がる自分もいない。大学生になる前に気づけたらと思う瞬間もあるが変えられるのは未来だけ。今は残りの大学生活期間で自分がやりたい気持ちに蓋をしていたことをとことん楽しもうと思う。パルクール、ボルダリング、トライアスロンとかやってみたいな。
あとはギターとかもやって弾き語りできるようになりたいなーって思ったり。就職先に向けて資格勉強することもいいな。とにかくこの冬期間は熱中できるものをいくつもトライしてみようと思う。そうすれば自分の未来は明るい方に変わっていくと思うし、可能性はさらに広がっていくと思う。
 今では出会えた縁には何か意味があるんだなって強く思えるくらいに変わってきた。そんなこと今まで考えたことなかったけど笑大学在学中にこの成長をできたことはとても僕にとっては重要で大切なことだ。振り返ってみればこの4年間で集団での会話はもちろん、一対一の会話は意外とあったなぁと感じた。個人面談で話すのが楽しすぎて3時間くらい話して結局最後は人生観の話したり首脳会議の後に田淵と朝3時まで何喋ったか覚えてないくらい喋ったり、基とはサシ飯何回も行ったり、後輩や同期とボウリングやカラオケに行ってオールしたり、ドライブしたり、たくさんの人と関わりを持てた。その全てが今の自分にとって大きな財産だし起きた全てのことが自分の糧となっていると強く実感している。人間は誰しも弱みを持っている。だからこそ人を頼る事が大切。頼れる人がいることこそ強い人の特徴だと僕は考える。

     サッカーが僕にくれた贈り物。
そう、それは《紡ぎ、繋がり、縁》だ。
サッカーを通じてこれだけたくさんの人と関わりを持てた自分は幸せ者だ。部活の仲間はもちろんのこと、対戦相手もお互いにリスペクトし合試合が終われば握手、お疲れ様とお互いを称え合う。それ以外でも僕の道標としてOBの皆様が相談に乗ってくださったり、越山さん、山田くん、岡田くん、常磐くんや遠征先でご指導頂いた方など指導者にも恵まれたこの4年間。
 サッカーをしている者は皆ファミリー。
 遠征先で出会った神奈川県サッカー協会の方のコメント。この言葉の意味が今はすんなり理解できるような気がする。サッカーは僕にとっても宝物だ。それはこれからも変わらない。きっと社会人になってもまたサッカーをやるだろう。そこで出会える縁も今後は今まで以上に大切にしていく。

最後に後輩と同期、OBの皆様、家族へそれぞれ。

 今回ブログを誰に向けて書こうかと思った時にやっぱり後輩に向けて書きたいなと思った。
アドバイスっぽくなるかもだけどこれで少しでも後輩の明るい未来に繋げられたらそれ以上に幸せなことはないので。

 みんなにとって4年目ってどうだったかな。最弱世代、声が全然ない世代、問題児がいる学年、逆にめちゃくちゃはなしやすい学年などなど。色々と一年生の頃から言われていた学年。
でもここ最近では1番の結果を残すことができた。4年目のおかげかは分からないけど一端は担っていると思いたい笑自分も首脳陣で、「チャンピオンリーグ出場」、「カップ戦全国大会出場」の目標を立てたわけだけど正直あまり達成できるビジョンは見えてなかった。それは俺だけじゃなくてほかにもいたと思う。だけど終わってみれば上出来のシーズン。なんでこんなうまくいくシーズンだったかっていうと良い意味でフランクで言いやすかったこと、サッカーに真摯に向き合う奴が多いことだったと思う。これは今の4年目にしかない特徴だと思うし強み。これが正解なのかは分からないけど、北大のサッカーの強みを全面に活かすなら意見を吸い上げる力は絶対に必要だと思う。それに長けていた4年目だったからこその結果だったようにも思える。サッカーに取り組む姿勢もちょけたプレーする時もあったりはしたけど一生懸命に愚直に取り組んでいる人が多かった。今シーズンは流星やあきを中心にスポンサー募集活動、説田、設楽を中心にボランティア活動、しんの、あき中心に大学祭への出店、トレーナーの新規募集などなど…。北大サッカー部がなかなか手を付けずにいた地域貢献的なところに今年は積極的に行動できた。これに関してもずっとやってこようとしていた案が多かったからそれを実践することができたのは紛れもなく部員全員の力が一つになったから。来年度もぜひやりたいことはみんなで出し合って積極的にチャレンジしてほしい。ここからは僕が実際に大学生活を送ってきて大切にしておけばよかったと思うことを書いていく。ぜひ参考にしてみてほしい。

 今後の大学生活で大切にしてほしいこと 5箇条
1.サッカー以外に熱中できるものを作ること
 これはメンタルケアの側面からものすごく重要。サッカーにのみ熱中することももちろん大事。みんなも感じたことあるかもしれないけどサッカーがうまくいっているときはおのずとサッカー以外の生活も上り調子で良くなる。逆にサッカーの調子が悪ければ他のことも調子が悪くなったりする。うつ病の改善方法としても依存先を増やすということがあるようにサッカー以外に熱中することがあれば、充実したオフを過ごすことができ、メンタルの切り替えを行うことができると思う。新しくやってみたいことをやるのも良し、趣味で時間をつぶすのも良し、部員や友達と長時間遊ぶのも良し、どっか遠出して景色を眺めに行くでも良し、普通にだらだらするのも良し。オフを充実させることでオンがおのずと充実してくるのを実感できると思う。
2.サッカー部員にもそれ以外にも深い友達をもつ、他者受容
 これは上でも書いたけど自分が一番大事にしたかったこと。悩みや相談の窓口としてこういう存在がいるだけで自分の心の安定を保てるし、どうしても一人で抱えられないような出来事に出くわしたときに誰かが相談に乗ってくれることで安心感を持てる。それと同時に他者受容ということでまず考え方は十人十色。解決の仕方もばらばら。なのでまずは相手を知り、共感し相手を理解するところが相談を乗るための第一歩。相談する側もされる側も受容の気持ちをもっていることが相談においては何より重要。
3.失敗を恐れず、新しいことに積極的チャレンジする
 今年やってきたことの踏襲。学年は関係ない。やりたいことがあればどんどん積極的に提案していこう。首脳陣や立場のあるものはそれをしっかりくみ取り実践に移すこと。今年は行動力のある人が多くよく動いていたので、そういった部分のふっ軽はどんどん発揮しよう。
4.たくさんの大人と接点を持つ
 社会や多様性を学ぶ点でとても重要。大学院に進学する人も社会人になる人も次のステップに進むと関係性を育んでいかなければならない相手は社会人(大人)。大学生のうちからそういったかかわりを持っておくに越したことはない。大人の考え方を知るという点でもものすごくいい勉強になる。幸い、北大サッカー部には良い見本となる先輩方、OBがたくさんいらっしゃるので積極的にコミュニケーションをとっていこう。
5.身近なロールモデルを見つける
 目標を持つのは非常に重要。みんないろんな人に出会ってきて尊敬できる人がたくさんいたと思う。その人をしっかり観察し自分に足りていない力を分析しながら生活する。それだけでも今後の自分の成長幅は大きく変化するだろう。
 
 全部とは言わない。どれか一つでも意識して生活してもらえたらうれしいな!これからも定期的に顔出すと思うのでその時にでも意識してみてどうだったか話聞かせてください。たくさん話しかけてくれて笑わせてくれてありがとう!たくさんのいい後輩も持てたのでとっても幸せです!来シーズンもなるべく多くの試合見に行けるようにします!みんな大好きです!

 次に同期へ。
 あんま同期に対しての想いは書いたことなかったのでこの際たっぷり書こうと思います。
部活入部したての頃から自分も含め陰キャラが多い学年だったなあ。田中も書いてたけど、ファッションには無頓着、遊びに行くときにジャージの人もいたりいなかったり、女の子のおの字もないような人たちばかり。高校の時のサッカー部はそんな人が少数派だったのではじめは自分自身なじめるか心配だった。けど、めちゃくちゃ優しいし気遣いできる人が多くかなり居心地が良かった。朝練の時は自分が遠いこともあって準備に行けなかったけど、少ない人数で準備してくれていたのをすごくありがたかったです。ご迷惑おかけしました。2年目になって大谷鎌倉田淵吉田が加わり、関西味濃いめの学年になりつつあった。道民勢は俺、松尾、下東くらい。北大の入学者の道内外割合をきれいに反映した学年だった。サッカーがめちゃくちゃ上手いかていわれたらそんなこともなく、トップに絡める人が2~3人?くらいだった。この年には自分がけがで不在の時に練習前にちょけてたり、ユニフォーム忘れたりとそりゃ問題児学年と言われても仕方ないよなって一年間だった。3年になってからは各々役職をもちはじめ、徐々に部活に対しての責任感が芽生えてきているように感じた。この時くらいからみんなそれぞれのカテゴリーで重要な役割を担うようになっていた。アイリーグではF4って呼ばれるプレーでチームを沸かせる存在になってたり、サテライトで点を決めてチームの勝利に貢献したり、ディフェンスとして体を張った守備をして最後まで粘り強く戦ったり、トップで汗かきやとして仕事をしたり。それぞれの場面で大きな飛躍がみられた1年間。そして最高学年。始まりは正直言ってあんまりよくなかった。でもみんなで良くしようとして最高学年として声だけじゃなくプレーでも牽引していくみんなの姿はかっこよかった。それぞれのカテゴリーにおいても最重要選手としてその存在感を遺憾なく発揮しチームの勝利に貢献していた。今年はすごくみんなが輝いていた年だった。良い事も悪いことも含めて締めにふさわしいシーズンを送ることができたんじゃないかな。みんなとサッカーできたことすごく楽しかったし、わくわくするようなプレーをたくさんしてくれて本当に最高の同期。例挙げたら、内海はオーバーラップでFW追い越すくらいの時もあるし声もめっちゃ出すしちょこまか動き回ってボール回収してくれるし、松尾はクネクネドリブルうますぎてなかなかボールは取れないし、(結構1番嫌なFWだったかも)温はまた抜き上手いし、クロス上手いしシュートも意味わからんくらいパンチあるし、田中はファンタジスタすぎるくせになんか足めちゃくちゃ速いし脚すぐ攣るし、鎌倉はデススラと一対一の強度バグってるし、大谷はあんな普段チャラついてる感じなのに土グラでもいとわずスライディングするしスライディング綺麗すぎて見習いたかったし、神山は脚めちゃ速いけど意味わからんドリブルしたりなんか知らんけどトップでたまに出ては点決めてたし、よっしーはドリブルめちゃ上手くて一対一で1番やりたくない相手だったし、春香はマネージャーとして過ごしにくい空気感の時もあったけど最後まで続けてくれて朝練もたくさん来てくれてたし、薮はパスめちゃくちゃ上手くて落ち着いてて貫禄あったし、たぶはヘディングめちゃ強いしプレーに華あるし足首弱いし。それぞれが個性発揮してめちゃくちゃいい学年でした。

 自分は正直、年目にいずらいなっていう時はあった。それは大体自分のせいだったけど。けれどもそんな俺でも暖かく迎え入れて受け入れてくれ、理解してくれる人たちで本当に嬉しかった。だからこそこれからも仲良く過ごしていきたいしいろんなことを経験していけたらと思ってます。年目会にもなかなか行けてなかったんだけどこれからは全部行くくらいのつもりです。残り少ないけどたくさん思いで作ろうぜ。大人で別々のステージに進んでもまた集まったりしたいな。各々に書こうと思ったけど恥ずかしいので、まあなんかいつか機会があれば伝えようかな。さんざんいろいろなことを言われてきた学年だったけど俺は本当にこの学年で良かった。この学年じゃなかったらっておもうことも多々あったし、自分をここまで曝け出せるのはこの人たちがいてくれたから。本当にありがとう。みんなに出会えてよかった。これからもよろしく!大好きです!

OBの皆様へ。
 試合会場に直接足を運んでくださったり、lineやメールでも応援のメッセージを下さったり、様々な場面でチームへのサポートを多岐にわたってしていただきありがとうございました。私個人としましても相談に乗っていただく機会もあり、多くの面で助けていただきました。本当にありがとうございました。特に丸山さん、岸さん、吉田さんには本当に数々の協力をしていただきました。今の自分の考えがあるのは御三方の知恵あってこそです。本当にありがとうございました。私自身も今後はOBとなるので、皆様方のように献身的にチームのサポートを行えたらなと考えております。

最後に家族へ。
 実家暮らしで洗濯物などは自分でやるようにしていたけれど、それ以外の食事とかはちっちゃいころからサッカーも続けていて栄養をしっかり考えて作ってくれて本当にありがとう。自分が困っているときもすぐに察して話を聞いてくれたりしてくれたのもすごく覚えています。迷惑かけることも多々あったけれど、ここまで育ててくれて本当にありがとう。

   【サッカーは子供を大人にするスポーツ】

 高校時代の恩師の言葉をお借りして締めとさせていただきます。ありがとう。

#7 鶴本海人

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