松尾宏太( 4年/FW/札幌第一)
引退して約一週間、糸が切れたように風邪を引いてしまい、体重がすでに減少している。自分の人生は先週が最大値を取る二次関数なんかなぁと思いながら、ブログを書いている。40歳で死ぬかも。このブログはこんな感じで、普段は恥ずかしくて言えない本音を書いていこうと思う。
みんなと比べて連続サッカー記録は4年間と短く(浪人は除く)、自分の人生でも最長は10年くらいだから全然足元にも及ばないが、ただ週5でサッカーをする。それが試合だったら嬉しいし、試合じゃなくても楽しい。屋内が一番好き。グラウンドが取れずランや筋トレになったらちょっと悲しいけど、休むなんて択はないし、当然辞める理由もない。自分の中で、気づけばサッカーは当然の日常になっていた。そういった意味では、自分の4年間はほとんど無風だった。自分の好きな人たちと自分の好きなことをする。それに不満なんてあるわけがない。嬉しいことに1年の後半からずっと試合に出る機会もあったし。学生リーグに出られたのは某郷さんが遅刻した時ぐらいだけど。
大変だったのは書くまでもない時期を除くと、一個上の代のモチベーションビデオを作っている期間くらい。上の世代が作ったモチベーションビデオが良すぎて、それに見合うような出来にしないといけないというプレッシャーがあった。あれを2回やっている他の代はマジですごい。
4年間全力でサッカーをやってきた。大きな転機もなければ、意識の変化もない。よく言えば慣性、悪く言えば惰性、それでも立ち止まることなく進んできた。ただ楽しいだけの日々。とはいえ自分の中で、この4年間はただ楽しかっただけでは終わらせたくはない。多分楽しかった思い出は少しずつ忘れてしまう。だから4年間で学んだことを心に刻んで生きていこうと思う。では大学生活、サッカー部で何を学んだのだろう。ここで、このブログを書いて初めて手が止まったからあまり学んでないかも。
それでもなんとか捻り出すとすると、自分以外の人って意外と考えて生きているということだ。
高校までの生活で、本気で他人の思いを聞いたことも、自分の思いを伝えたこともなかった。人と衝突しそうになったら自分がすぐに折れたり、周りの人がぶつかっている時も、自分が真っ先に相談されるような位置にはいなかったからだ。MCバトルとかやろうかな。高速で衝突できそう。即興で競うとかできそうにないな。やめた。
このサッカー部の良いところであり、難しいところでもあるが、監督が存在せずチームのことを学生同士で決めなければいけないことだ。(もちろんOBやコーチなど、色々な方々の助けがある)問題が起きた時は学生で解決しなければいけないし、みんな本気でサッカー部のことを考えているから衝突も起こる。そこで聞いた対立する意見の数々は、自分が考えていたことよりも、遥かに深くて、Xのバズポストに共感して、引用ポストですぐ意見を翻す時みたいになっていた。意外とよくあるなぁ……。まあ、こんなことを考えてる時点で自分は浅いことしか考えていないので、どっちかというと自分が意外と考えてないとも言える。こう考えると、自分はたまに欠点になるくらい真面目とか、優しいとか言われるが、多分なんも考えてないからなのかなぁと思った。成り行きで生きてる。ということで、今日からはいっぱい考えて生きていこうと思う。
引退を意識してから今まで、随分と長い走馬灯だった。朝練の車内であと何回早起きをするか数えた時、引退後に何をするかを同期と話し合った時、後輩たちがもう最後を理由にごっつあんに誘ってくるようになった時、両親に最終試合がいつか聞かれた時、アイリーグ準決勝、途中で交代した時、そして負けた時、最後の練習で写真を撮った時、アイリーグ最終戦のホイッスルがなった時、チャンピオンリーグで機械知コンビが後半ロスタイムで点を取った時、試合後にみんなで写真を撮った時、打ち上げで同期とカラオケに行った時、朝が近づくに連れて、一人また一人と帰って行った時、賄いを食べながら同期のブログを読んだ時、そして今、引退ブログを書いている時、いろんな思い出がフラッシュバックして一気に来ると耐えられなかったからこれで良かったと思う。今まで、自分の泣きたい時に思い出すことランキング一位が曽祖母が亡くなった時で、二位が『宇宙よりも遠い場所』の12話だったけど、ちょっとランキングに変動があるかも。
大学をなんとなく、一人暮らしが嫌と言う理由で選び、最初に新歓に行ったサッカー部にそのまま入部した。そんな積極的とは言えない理由で選んだ4年間が今後の人生で、輝かしいものとして残る。でももうそこに自分はいない。なら自分を変える必要がある。殻に閉じこもっているだけじゃこんなにワクワクするとこにはいられない。発想の根本は興奮がコア。とりあえず泳ぎの練習から始めようかな
#50 松尾宏太