松尾宏太(4年/FW/札幌第一高校)
3年間、色んな人のブログを読んでいた。イメージ通りのブログの人がいたり、意外な1面が見えるブログの人がいたり、文学的過ぎて何を書いているのか分からない人もいた。そんな数多のブログの中を参考に、書きやすくて、感動するブログの書き方が気になったので調べてみました!
まずは導入として過去などを語り、自分の人となりを説明する。
自分がサッカーを始めたのは幼稚園のころで年上の兄がいたおかげか、普通の人よりも少しだけ早かった。それもあってか小学生の頃はずっとスタメンだったし、1つ上の学年の試合にも呼ばれたりしていた。しかし中学生では、試合にはあまり出られなかった。今でも中学生の友達にあうのだが、当時の試合の内容を自分だけが覚えてないのが少し悲しい。みんな当然のように高校でもサッカーをやっていたが、自分は志望校に落ちたこともあってか、勉強に集中することにした。そう言いながら友達と毎日ゲームをしていたけど。それでも別に後悔はしてないし、小学時代も中学時代も高校時代も同じくらい楽しかったと思っている。
この辺ででさり気なくブログのキーワードを強調する。
大学に入学して、気づいたらサッカー部に入っていたが最初はそこまで熱量もなく、4年後に後悔しないかを考えていた。しかし1年のある日、自分のことを舐めていたであろう、当時のキャプテンとエースをターンして抜いた事があった。公式戦でもなんでもない普通の練習の日、自分は再びサッカーにハマり、この選択に後悔することはないんだろうなと思った。
キーワードを回収しながら本題に入る。
後悔には心理学的にはやってしまった後悔と、やらなかった後悔の2種類があるらしい。前者を行為後悔と呼び、後者を非行為後悔と呼ぶらしい。日本の後悔格付けティアは行為後悔>非行為後悔とされている。実際「やらぬ後悔よりやる後悔」という言葉はあるが、逆は聞いたことはない。
この考えに自分は異論を唱えたい。例えば、コーチに帰れと怒られ本当に帰ったとき、自由研究発表で自分から発表してクラスメートとその親の前で大泣きしたとき、他にもブログにもかけないようなこともあるけど、今でも思い出して恥ずかしいし、たまに吐きそうになる。こんな感じで結果がすぐに現れることが多い。逆に受験期、勉強をサボってしまった日多分後悔をしていたけど、1日で忘れているし、まあ志望校に受かったから別にいいかなって思う。そんなふうにやらなかったことは多分蓄積して、いつか結果になって返ってくる。その時までに、どっかしらで努力して良い結果を残せればその後悔はなかったことになる。だから自分は行為後悔のほうが嫌いだ。
そもそも、どちらも共通して言える当たり前のことだか、結果が良ければ後悔にはならない。
最後に意気込みを語る。
何が言いたいかというとサッカー部に入ったということに後悔はしたくないし、できる努力をしなかったという後悔もしたくない。また同期のみんなにも、なんなら後輩たちにもそんな思いはしてほしくない。だから、試合に勝って、チームの目標を果たして最高のシーズンにしたい。
いかがでしたでしたか?感動するブログは難しいですね。残りの同期のブログに期待しましょう。
#50 松尾宏太