白石優多郎(3年/DF/横須賀高校)
「寒いか」
御者が振り向いた。頬骨と鰓の張った硬質な顔に、苦々しい笑みを浮かべている。
「ううん」ヤヨマネクフは答える。「熱い」
暑い、ではない。言葉を知らなかったからでもない。確かに熱を感じていた。
吹きすさぶ風は、頬を凍らせてたたき割るのではないかと思うくらいに冷たかった。けれど外気が凍てつくほど、自分の体は熱を自覚する。
-川越宗一『熱源』より-
冬
日本における四季の一つであり、北海道が一番美しくなる時期だと思う。
北海道では雪が毎日降りしきり、夏まであった美しく生き生きとした自然の姿は見えなくなり白銀の世界となる。
この世界ではその寒さの中でしか見ることのできない美しく魅力的でそしてどこかうら寂しい景色を見ることができる。風は頬を突き刺すように寒く、雪を纏って強く私たちに吹きかける。
そんな魅力的な時節である冬だが、良い側面ばかりではない。
他の四季に比べて日照時間が短いこともありどこか悲しいものとして捉えられることが多かったり、また進歩が見られない時や状況が厳しい時にも用いられることもある。
また夏の間は車道へ平気な顔して飛び出してくるシカや可愛いが歩く病原体ことキツネ、そして蝦夷の地の王者クマなどの野生生物は冬眠をすることで厳しい冬を乗り切ろうとするのである。この北海道が試される大地と呼ばれる所以もその冬の厳しい寒さによるものであるのだろう。
そんな北海道2年目の冬。自分としては、今年の冬は前者後者どちらの意味も経験した。
冬の始まりは楽しかった。
あの忌まわしき前十字靱帯断裂から約1年ぶりの復帰。久しぶりに履いたトレシュー、橙と白が特徴のボール、チップの匂いでいっぱいの屋内運動場、ボールを追いかけ息が切れるあの疲労感、狙い通りのパスが味方に通り得点ができたときの達成感、練習後に定期的に開催されるハーフコートでの対人。
ピッチ上で起こる全てのことが懐かしく感じられたし楽しかったし美しく感じられた。
去年は1年間ピッチの外からみんなを見ていた。
そのときは「部活動以外も充実してるし、別にみんなが羨ましくない。」と思っていた。
実際にいろいろ経験した。これまでの22年間の人生においてサッカーがない人生なんて存在しなかったから自分が関わることのなかったいろんな世界へ飛び込んでみた。寮でもいろんなことにチャレンジした。友人もたくさん作ったし新しい趣味を見つけた。
けど実際にプレーするようになって思う。やっぱり何かが足りなかった。真剣勝負の世界が足りなかった。
そしてやっぱり強がってたんだなって。無理してたんだなって。こんな楽しいことを1年間やれていたみんながうらやましかった。失われた1年の大きさを実感するとともにこのサッカーができる生活がもう2度と失ってはいけないものだと思っていた。
でもそんな生活も簡単に失われた。いや、「失った」のほうが正しいのだろう。
詳しいことはココに書き記すことができないけど、自分のせいで活動ができなくなってしまった。今年の冬の半ばから結局ギリギリ桜が咲きそうな時期までボールを蹴ることが許されなかった。
それどころかサッカー部の活動に参加することも許されずみんな苦しい時期を過ごしたと思う。
学生リーグで良い成績を収めたい4年目や2年目、新しく希望を抱いて部活へやってくる1年目、そして中心の学年として部活動を引っ張り学生リーグを戦い活躍するはずだった3年目。
全ての学年の人間に多大なる迷惑をかけた。その他OBや学務の方にも迷惑をかけた。
事件が判明してすぐは人生史上最悪の気分だった。部活に関係する人たちに多くのストレスを抱えさせてしまったし、やらなくてもよい多くの仕事をやらせてしまったと思う。そして人間関係も複雑にしてしまった。
こんなにも部活動をぐちゃぐちゃにしてしまった自分のような人間がこのまま所属していて良いのか何度も考えた。
自分のような人間が他の人に対して何かできることなどあるのだろうか。色々考えた。どう責任をとろう。何をしたら許してもらえるのだろう。
でも考えれば考えるほど効果的で良い考えは思いつかなかった。鳴り止まない年目ラインの通知。それを見るたびに罪悪感で耐えられなかった。そして自分のしたことの重大さを理解した。でもそれを理解はしたものの考えても考えても良い解決策は見つからない。毎日のように考え続けていた。
そうこう色々考えて悩んでいる内にサッカーが嫌いになってきた。サッカーのことを考えるとそのことを考え袋小路に迷い込んで辛い思いをしてしまうから次第に嫌いになっていったのだと思う。
そうして、次の日に1限があったとしても深夜の3時に起きて試合を観るほどに好きだったリバプールの試合も観なくなるくらいにサッカーを嫌いになっていた。
そうして自分の中でのサッカーに対する後者の意味の冬の時期が来ていた。
自分は自分のせいであるのにも関わらずサッカーから目を背け、また去年のようにサッカーのない生活楽しみ始めた。
普通だったら部活のある時間に起床し、そこからプレーしてたときには1回も食べなかったカップラーメンを食べ、なんの目的もないままにドライブに行き北海道の景色を楽しんだ。去年は全くいけなかったスノーボードにもたくさん行った。
正直言って充実していた。時間と言う制約が無くなりいろんなことをしたし、どこまでも行った。
東京で首都の大きさを知り、広島で自然と歴史の偉大さを見た。北海道の宗谷岬で世界の広さを実感したし、釧路で自然の雄大さを知った。こんな生活がずっと続けば良いのにと思った。
「本当にそれでいいのか?」
ふと思った。本当にこれでいいのか。自分の犯した罪から逃げたくて今の生活が楽しいと言い聞かせてるだけなんじゃないか?分からなかった。いろんな人に相談した。みんな優しいからこう言ってくれる。
「そんなん辞めちゃいなよ。もっと楽しいことあるよ。」
何度もその言葉に甘えようとした。
でも本当にそれでいいのか。
この17年間ほとんど毎日やってきたのに勿体ないからとかじゃない。そんなものを簡単に超越したような話。これからの人生に大きく関係してくる話。
就活でガクチカに使えるからやる。そんなんじゃねえだろ。そんな打算的なものじゃなくてもっと深いところ。
そのとき自分に「熱」があることを自覚した。サッカーに対する「熱」を。
多分いろいろなことが混ざり合って生じてる「熱」。
サッカーをやりたい。サッカーを楽しみたい。サッカーで勝ちたい。
サッカーを失ったことでかえって自分の中にそのような感情が存在していることをしっかりと自覚した。
自分が勝たせるしかない。それでしか罪を償えないなって思った。
それを自覚してから日常の中にサッカーが復活した。たくさんサッカーを見るようになったし、たくさんサッカーの勉強をした。本も何冊も読んだし、様々な理論を勉強した。
1年間サッカーをまともにやってない。間違いなく動けない。
だからこそ頭を鍛える。
走行距離を増やすのではなく、減らすためにポジション取りを意識する。相手のプレスを簡単に剥がすために立ち位置を考える。前進を簡単にするためにスペースの有無に敏感になる。
そうして得た知見や、サッカーの見方を共有すること。
それこそが自分が部活のために唯一できることだと思ったから。
多分これから何をしたとしたも、過去にしてしまった罪を完全に消すことはできない。
それは重々承知しているし、これからも背負って行かないといけないものだと思う。
それでも僕は前を向いて進んでいくしかないのだろう。
時間は前にしか進まないのだから。
それは決して自分たちの行いを反省しないということではない。
自分の犯した罪や部活動をしていない際に得た知見、来シーズンへの期待。そしてこれまでずっと抱えてきたサッカーへの「熱」も全部背負い込んで前に進んでいくしかない。
それこそが、これからの自分に課された役割なのだから。
もうすぐ、ジェットコースターのような痺れる半年間が始まる。毎週喜怒哀楽を繰り返し、心身ともに疲れ切るあの半年間が。
多分いろいろなことが起こる。
上手くいかないことも上手くいくことも同じくらい起こると思う。
部活動やサッカーに嫌気がさす時期もきっと来るだろう。
でもそんなときに思い出して欲しい。自分の中にある「熱」を。
サッカーに魅了され気づかないうちに得た「熱」を。
そうすれば、部活を、みんなを、そしてサッカーをまた好きになれると思うから。
#63 白石優多郎