アンビバレント

鈴木大斗(3年/FW/仙台南高校)

自分のことを表現するのがあまり得意じゃないし、嫌いでさえある。自己表現には必ずストッパーが存在してて、喉の手前で言葉になるのを鈍らせる。

圧倒的に外向的な性格であるのだけれども、どうしてもこの感覚だけは残っている。この一抹の内向的な性格は、サッカーにより形成されたように思う。遊ぶことが至上であった小学生の時の私は、よく近くのグラウンドに友達を集めては『遊びのサッカー』をした。サッカーは結構身近にあったと思う。震災で以前までやってた器械体操が出来なくなって自分の器械体操神童コースが閉ざされた時には、復旧の目処が立たなかったために途方に暮れた。器械体操が出来なくなった寂しさを埋めるように、身の回りが落ち着いた頃に当時の衝動でサッカースクールに入った。当時は器械体操で培った身体能力のおかげもあり、そこそこ上手くやれていたと思う。当時日本代表で憧れた柿谷を模倣して、自己満トラップとわざわざ浮かしたスルーパスを出して楽しんでた。でも自分がしていたのはやはり『遊びのサッカー』である。遊びでするサッカーは、やはりサッカー経験者が不均等にいると経験者のいるチームが強くなる。点差が開くとつまんないムードが漂い、他の遊びをしてしまう。そんな事態を避けたくて、行間を読むようにサッカーをすることが多かった。自分が場を白けさせてはいけないと思うと自我を出すことが減り、黒子に徹することが増えた。それがプレーにも影響し始めて、ボールを持とうとはしなくなった。それと同時にサッカーに魅力を感じなくなった。ただ、親友の引き留めもありサッカー自体はモチベーションの波はありながらも続けた。最後は楽しくできた。今思えばなかなかのファインプレーである。ありがとう。見てないけど。

そんな感じで中学生になってサッカー部に入る。ここで初めて『本気のサッカー』を知る。本気のサッカーにはボールの展開、連動する仲間、局面の一対一といった魅力が際限なく存在し、当時144cmの少年はその目の前の光景一瞬一瞬に目を輝かせていた。どの一瞬も逃さまいと釘付けになっていた。本気のサッカーを知った。同時にここで輝きたいと思った。といっても部活動には遊びのサッカーしかなく、本気のサッカーは数人の熱でたまに生まれるペナ2つ分の広さしか取れない宮城野中学校の校庭と土壇場で勝ち取った区トレという環境にあった。そのため、部活で遊びのサッカーをしてる人間が区トレの本気のサッカーに追いつけるはずがない。区トレのBチームスタメンに定着してしまい、2年生の時のトレセンは選考の末落ちた。同時に一個上の代での中総体でユニフォームを貰えなかった。
「お前は小さすぎるから闘えるイメージが湧かなかった。」
あまり人前で泣くことはないのだけれど、その日は同期の前で帰路で泣き続ける程悔しかったのを覚えている。努力で何とかなる部類じゃないじゃん。そんな落選理由に世の理不尽さを感じた。

高校のサッカー部では同期が6人。おまけにみんなディフェンス。意味分からん。チームとしての今後の展望と顧問からの進言により中1でコンバートしたディフェンスを辞めてフォワードに戻る。成長期と持病の腰痛に悩んで思うように動けない時期がありながらも、何とか痛み止めを飲んで部員にバレないように誤魔化しながら、ブランクを埋めるためにも誰よりも練習に本気に取り組んだ。結果的にはシーズン10得点を達成したりとそれなりに結果を残せた。でも、これは自分の代の話である。一個上の代では同じ熱量を注いでも中学同様に高総体でピッチに立つことが出来なかった。ユニフォームをリュックにしまったまま松島フットボールセンターを往復した道のりは今でも鮮明に思い出せる。曇り空で、その曇り空が海に反射して一面どんよりとしていた。あれ、この光景中学と一緒じゃんか。同じことの繰り返しだ。その既視感を引き金に、学ばない自分へのやるせない怒りが一瞬にして自分のサッカー史を駆け巡った。どこで選択を間違えたのか自問自答した。ただ、出れない理由は分かっていた。目に見えて下手だからである。自分が基礎的なミスして空気が悪くなる。何とかしようと必死になって、空回りしてミスして空気をさらに悪化させる。その雰囲気に耐えきれず、空気を読むように、後ろ指を指されないようにプレーをするようになった。

『ミスらないように、ミスらないように。』

Aチームに呼ばれていた頃の強みを失った。結局、自分は高校3年間で高総体という公立高校にとっての華舞台に足を立ち入れることはなかった。自分の代はコロナによる高総体中止の通知がメールで送られてきて、ベットの上で引退する。1個上の代の三高のような華々しい引退を夢見た人間の長いサッカー人生は呆気なく終了した。厳密には顧問が他校と引退試合を開いてくれて区切りの試合だけ出来た。しかし、その試合に情熱はなく、お戯れって感じだった。苦しい思いの多かった全サッカー人生の集大成が空っぽで、虚しかった。

ここまでのサッカー人生には、矛盾が伴っていた。下手なあまり結果が出なさすぎてサッカーを辞めたくなる気持ちを否応無しに自覚させられながらも、サッカー自体を辞めよう思わなかった。他人の目を気にしながらサッカーをする一方で、いつか自分が主人公としてサッカーを支配出来る日を夢見てたのだ。辞めたいのに辞めたくない。そんな矛盾した感情の中で目の前のボールをひたすら蹴っていた。

サッカーで陽の目を浴びたいという気持ちとは裏腹に、中学生から患っていた腰痛が高校で悪化した。前述の通り痛み止めを飲まなきゃ動けないほどに痛み、身体は限界を迎えていた。ドクターストップもあり得る世界線で生きていた。この怪我には、下手なサッカー選手に満足する終わり方を得る権利はないのだからもう諦めて大人しくピッチから引けよと言われているようだった。気持ちと身体に乖離が生じていた。そこに自分の不本意な引退の正当化理由を見つけた。これでサッカー人生に幕を閉じよう。そんなスタンスだったので、大学入学当初は部活など選択肢に毛頭なく、当時興味のあったサークルを掛け持ちして遊ぶことに本気になろうと思っていた。多趣味である自分にとっては他のことを始めるいいきっかけになると思っていた。

大学生である今、自分は北海道大学体育会サッカー部に入っている。それは突拍子もないきっかけだった。身体は悲鳴をあげているのに、心がそれを押しのけてまだやれると言う。これまでのどん底のサッカー人生が、やはり一度は陽の目を浴びたいと言わんばかりに自分をボールの前に駆り立てるのだ。正当化されたはずの理由はもはや未練の前では意味を成さなかった。部活動の門を叩くとき、憧れのサークル生活には憧れのあまりすぐ駆け寄っちゃいそうになると思って、そっと鍵をかけた。

そんな調子で気付いたら大学生活を折り返していた。大学生活を振り返るには早いなってのと、引退ブログでどうせ振り返るかなって思ったので割愛。一つ言及するとすれば、今のところ大学サッカーでは陽の目を浴びていない。そもそも試合に出る権利すら与えられないことが多くなった。ユニフォームすら与えられない、あの頃と同じだ。あの頃と同じ状況にその都度あるごとに直面している感じ。それでもサッカーを続けられている一つの要因は同期にあると思う。志高くて、練習に真面目で、それでもって練習が終われば一生ふざけている。ここ最近になって、同期にならある程度自分のことを話してもいいなって思えるようになってきた。全部含めていい仲間だと思う。みんなと行けるだけ上に行きたいって素直に思う。そのためにももっと強くなります。

そろそろこれからに繋がる話を。自分は確かに救いようもなく下手だけど、局面で勝負強さを見せてきた。小学生では確か2個上の引退がかかった大会の試合終盤にフリーキックで勝ち越し点を取った。中学生ではトレセンの選考会の最後の試合で快速を飛ばして得点を取ってセレクションに合格した。高校では予選通過するには勝たなくちゃいけない相手に開始30秒で点を取ったり、ニ華高との引退試合で決勝点を取ったり。大学では試合に出れていない中での新人戦で途中出場ながら点を取ったりした。これに関しては負けたけど。あとこれ含めてしれっと新人戦で2点取った。比較的苦戦した試合で。

自分の人生を振り返ると何かと勝負強い。いや、勝負強すぎる。まさやにも大谷戦の後にそんな感じのこと言われた気がする。余談であるが、浪人時代には私立を受けずに国公立一本勝負で北大へ来た。国公立の大学に行くか就職するかの二択であった。同期にはそんな奴いるかと笑われた。けど結局背水の陣で勝利した。そんな感じでまだまだ話せばいくらでもあるが、ここまでの人生を振り返ってもやはり自分はあまりにも大舞台お得意人間なのである。

2年前、高校の同窓会で当時の顧問にサッカー部に入ったことを伝えた。顧問は大学3年目時点でトップチームに絡めないと4年目での出場と定着は厳しいぞと言う。そして今シーズンは3年目の年。自分にとっては勝負の年だ。前述の通り、正直サッカー部の連中はみんな上手い。小学生からちゃんとサッカーを始めていれば、なんていう空想に耽ってはコンプレックスに感じてみんなに嫉妬する。上手さ勝負じゃ勝てっこないと痛感する。ただ、勝つチームという意味では出場の余地がある。スタメンで出ることが一番だけど、スタメンじゃなくても途中出場で結果を残すことだって出来る。今まで練習には下手なりに全て100%で取り組んできた。このオフシーズンで自分の感情にも整理をつけてきた。後は、自分の勝負強さをもっと周囲に知らしめて、大学サッカーにおける大舞台で自分の信じて止まないその逆境に打ち勝つ力を思う存分に発揮しよう。その大舞台で一度は諦めかけた主人公になろう。点を取って、その時にみんなが駆け寄ってくるあの言葉にし難い快感をそこで独り占めしたい。下手でも活躍出来ることを証明したい。自分のサッカーを「過去」ではなくて「今」で語りたい。誰よりも低い谷で燻ってきた『18番』が、誰よりも高い山に登って、その絶景を見渡してやりたい。

#18 鈴木大斗

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