武市真之助(3年/GK/札幌北高校)

今まで生きてきて20年。自分はあまり泣かない人間だと思う。

何かのことに感動しないわけじゃない。だけど、部活の最後の試合でも、中学で離ればなれになってしまう友達との別れの時も、大好きな鬼滅の刃の映画を見たときも別にさみしかったし、感動もしたけど、涙は出なかった。

中学の部活の引退で僕が泣かない姿を見て、母が「なんで泣かなかったの?」と言ってきたのはいまだに衝撃だったが、出てこないものを出すことができるほど僕に演技力はないし、そこらへん体は正直だ。

鬼滅の刃で泣けなかったのは置いておいて、部活の引退で、なんで泣けなかったか。あんなに毎日練習もしてたのに、なんでみんなと同じように涙があふれてこなかったのだろうか。

やっぱり、感受性が低い人間なのかな。

いや、そんな俺でも泣いたときはある。受験期、共通テストが終わって、第一志望に行くには厳しい点数しか取れなかった時、親が送迎してくれた車でも、学校の自習室でも、6個下の妹の前でも泣きたくなくても涙があふれてきた。

きっと受験は本気だったんだろう。本当に悔しかったんだろう。だからこそ、涙が流れてきたのだと思う。

だとすると、自分はサッカーを本気でやったことがないということになる。

あながち、否定できない。

幼稚園に貼ってあるポスターを見てサッカーを始めて、小3で札幌に来て、キーパーさせられて、気づけば、友達と一緒に中学校の部活に入っていた。

はじめは、反応の速度が速かったからか、試合に出してもらえた。同期の中だったら、出世株だった。だけど、それにあぐらをかいていたら、いつの間にか敵にも思っていなかった同期のキーパーに抜かれ、Bチームの守護神に成り下がった。

いつしか試合で負けることが当たり前になり、「今日は何点取られるかな?」、「どれだけ点を取られてもお互いを責めるのはやめよ」みたいなくそ会話を試合にしていた。

終いには、Aチームがランメニューをしている間、鬼ごっこをして遊んでいた。

楽しかったし、あの時代を今振り返っても、あの時代を否定したいとも思わない。だけど、泣けなかったのは、この堕落した日々にあったと思う。もっと頑張れたし、Bチームにいるにしろ、もっと勝利に貪欲になるべきだった。負けた後、「あー、今日も負けたけど、何本か止めれたし、いいでしょ。」って感じで終わらず、もっと悔しがって、努力すれば、多分涙が出てきただろう。

長くなるので、高校時代は割愛するが、高校時代は中学時代よりは数段頑張ったけど、もっとやれた。必死じゃなかった。だから、泣けなかった。

大学一二年振り返って

今のままでは泣けない。本気じゃない。ビデオもろくに見ない。ビルドのことは同じこと一生言われて直らない。筋トレにも気分でテキトーに行く。

流石に変わらないといけない。

でも、人間そう簡単に変われるわけじゃなくて、一二年の時も何度も変わろうと思った。でも変われなかった。

いや、もう変わらないと。

あと二年しかない。今変わろうとしないと、引退するまでに変われない。一か月やそこら頑張ったくらいで泣けるほど、僕の涙腺は甘くない。

今から頑張ろう!みんな見ててほしい。

幸運なことに北大サッカー部は、努力するにはうってつけの環境だ。監督がいないから自分で努力のベクトルを決めることができる。

同期には、今も昔もずっと頑張ってきてて、尊敬できて、「あいつらが頑張ってるから俺もがんばろ!」って思える奴らしかいない。

後輩はみんな、とてつもなくうまくて、陵北中学校Bチーム出身が一緒にサッカーをやっていいような奴らではないくらいすごい。こいつらのシュートが来るときは、「やるぞ!」っていう気持ちになる。

先輩はとにかく優しくて、伸び伸びやらせてくれる。

そして、同期のキーパーの翔悟は自分に足りないところたくさん持ってる。そして、こいつとの練習は楽しい。

控えめに言っても最高の環境だ。あとは自分次第。

変われ自分!そして、2025年11月。泣いていてくれ!自分。

あとがき

読んでいただきありがとうございました。ブログを書くのは苦手です。今回の文を書くのに5回書き直しました。ブログの執筆も努力ですね(笑)

#28 武市真之助

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