あいつらに伝え忘れたことがある

説田周(3年/FW/横浜翠嵐高校)

はじめはやる気に満ち満ちていた。
代替わり。
目標は数十年ぶりの2次予選進出。
勉強なんぞそっちのけ。
授業中は放課後の練習に思いを馳せ、帰りのホームルームではいかに早く教室を出ていくかだけを考える。

高2の7月。世界を混乱に陥れたウイルスと部活内のとある失態により少々つまずいたスタートをきったもののそこからは順調に部活ができていた。最高学年となり就いた役職はキャプテン。部の規模の割にはたっぷりめな数の副キャプテン達を指名しつつ、部を俺が作り上げていくぞと気合い十分であった。

しかし、何かを作り上げるというのはかなり難しい。

ほぼ毎回誰かしらが歯医者や眼科に急な腹痛、微熱で遅刻または欠席し、グラウンドには練習開始ギリギリに足を運ぶ。だから準備は同じようなメンバーが毎回やってる。みんな真面目であるので、いやそれ故に練習中の声は多いとはいえず、声が聞こえると思いきや鬼滅の刃の話が繰り広げられている。

あれ?こんなはずじゃないんだけど。
 

2次予選進出。自分たちの取り組み方次第では届きそうで、だから部活に全力で、真摯に向き合っていく。きついこともあるかもしれないけどそれを乗り越えた先に強くなった自分たちがいる。なんて燃えに燃えていたのはどうやら限られた者だけであったらしい。

そもそも学業が重めの公立高校において、運動部でなにか目標を成し遂げようとする情熱は沸きにくい。なぜか?
サッカーがしたいだけだからサッカーができるということ以上のことは求めなくてもいい。いまさら部活に真剣になるのは恥ずかしい。本気でやったところで対した何かを得られないと気づいてしまった。そんなところだろうか。

俺はそんな彼らの思想を変えたかった。

リーグ戦が始まった。なかなかAチームがリーグ戦で勝てない中Bチームが勝ちを重ねていた。いつかの紅白戦で「なんかAチームは楽しそうじゃないよね」と同期のBチームで戦う男に言われた。刺さった。このリーグ戦が始まってから楽しむためにサッカーをやるなんていう発想がなかった。とにかく勝つことが一番大事と思っていた。だからうまくいかなくて自分の試合中の発言に文句や雰囲気を悪くする言葉が増えてた気がする。Aチームはみんなから目指されるあこがれの場所、羨ましがられる場所でありたかったけど、どこか窮屈でそこに入りたいと思われるようなチームではなくなってた。キャプテンとして悔しかったし悲しくなった。気楽に、楽しそうにサッカーをするBチームに少し嫉妬した。

部活でサッカーをやっていて「勝つこと」にこだわらない人はあまりいないと思うし、俺だって試合に勝つことが全てでありそのために活動すると考えていた。しかしそれではうまくいかないときがある。勝ちたいという気持ちが勝たなければならないという強迫観念になり楽しいはずのサッカーが楽しくなくなっていく。そうじゃなくて自分がこのくらいの程度でサッカーをやりたいなという範囲内でサッカーを楽しみ、試合では練習で知った楽しさそのままにサッカーをやってみる。

何が大事かは組織によって異なるが、少なくともこの部活ではそのようなただ純粋にサッカーをやる楽しさがとても大事で尊重されるべき価値観なのではないかと思った。

そしてそういう考えを受け入てみることにした。なぜならそうしたほうがみんなにとっていいと思ったから。同期も後輩も1人残らず好きで誰もやめてほしくなくて、そんなとうていプロを目指すわけでもない俺達が最後まで一緒にサッカーを続けるのに必要なのは熱量よりも楽しさなのかと思った。

それから誰もが楽しくやれるチームを作ろうと自分の言動を意識して変えていった。とにかくなんでも楽しそうにやるのである。練習や試合はもちろん用具の準備やトンボ、片付けまで一番楽しんでやるようにした。そしたら今まではみんなもっと早く来て準備やってくれよーって思ってたけどそういうことはあまり思わなくなった。しかも同期や後輩が前より準備や片づけに積極的になってきた気がして、一緒に準備やトンボしながら話すのが楽しかった。

ラントレとかフィジカルトレーニングではみんながきついより楽しいという気持ちがギリギリ勝ってくれるような声をかけることを意識した。

そうしていくうちに、鉄壁の小テストで赤点取ったあとでも、雨上がりのグラウンドにワジができていても、体育祭のカワイコの練習にラントレのコースを塞がれても、なぜかサッカー部に敵意丸出しのハンドボール部顧問にごちゃごちゃ言われても、マスクを付けないと対人練習ができないと言われても、校舎の改修でグラウンドが半分の面積になっても、サッカーを楽しめた。

高校最後の大会は2回戦で負けた。

引退した日はやけに天気が良く、この上ないサッカー日和だった。

代替わり当初はトーナメントをどんどん勝ち進み私立強豪に下剋上をする最後の大会を思い描いていて、それとはまるで違った終わり方をした。でも最後のミーティングではチームメイトへ笑いながらこんないい天気の日にみんなとサッカーできて楽しかったと言った。最後にそう言うことで楽しくサッカーをやるチームが完成してくれるような気がしたから。

そんな感じで特にミーティングで喋る言葉はヘラヘラしてる印象があったかもしれない。

けれど俺は伝え忘れたことがある。

負けが決まったあの瞬間、俺はチームをここまでまとめてきた達成感も2回戦で負けた悔しさもなく、練習試合が終わったあとのようなふわふわした感情になっていた。これまでの部活の時間が楽しかったという事実は揺るぎなく、今でも思い返すくらい宝物だ。でも最後の1年は楽しい以外に感情がなかった。気づけば俺は楽しいチームを作るという口実のもとすっかり2次予選を諦めていた。

他人や環境や勉強のせいにして俺含め多くの人が心のどこかでうまくなることをスタメンを二次予選を諦め、そのせいで大事な感情をなくしてはいなかったか。なんとか勝ちきったときのあの喜び、負け目標が潰えるあの悔しさ。ときにチームメイトの怠慢に声を荒げ、一方で誰かの成功には抱き合ってみんなでたたえる。今後の人生でいつか高すぎる壁にぶち当たって絶望し、それでもなお立ち上がり挑み続けるために俺らは本気になってもっと感情を知るべきだった。
そしてたくさんの感情を全員で分かち合い、そんな日々を経てやっぱり俺はみんなと2次予選に行きたかった。楽しかっただけで終わりたくなかった。もっとずっと一緒にサッカーをやりたかった。

なにかを成し遂げたければ「覚悟」をもって取り組み続けなければならない。

大学生になり当たり前のようにサッカー部に入部した。同期はどいつもこいつもサッカーが大好きらしい。チームのレベルは想像以上に高く、聞いたこともない戦術やサッカー用語が出てくる。そして自分が本当に戦っていいのかという経歴を持つような相手がいる。本気でやらなければ置いていかれる。試合では絶望ばかりが押し寄せるけどたまに決まる得点で応援席に駆け寄るあの瞬間がたまらなく良い。下手くそと言われショックを受けるけど試合で活躍すれば褒めてくれるあの一言がたまらなく良い。

15年目のサッカー人生。なかなか続いたなとたまに考える。でもさすがにこんなに本気になるのは大学で終わりだ。だからこそ最後は自分の弱さでなにも諦めたくない。札大、岩教に勝ち全国大会に出場する。最高の仲間と喜び合いたい。そのためにあと2年、頑張れるだけ頑張ってみる。もちろん楽しむことを忘れずに。

最後に
つい先日、成人式で久しぶりに集まった同期はみんな元気で楽しそうで嬉しかった。アツくなるのもいいけど楽しいっていうのもいいもんだなって。同期、先輩、後輩、顧問の先生、サッカーを一緒にしてくれてありがとう。

締めはあるブログに倣って。

同期たちへ

また集まろう。企画よろしく。

#5 説田周

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