皆さん、こんにちは。サッカー部四年目の西平賀峻介と申します。毎年、先輩方が引退ブログを書いてきましたが、ついに自分の順番に回ってくるとは時が流れるのは早い、 、 。これまで多くの時間を部活にささげてきたので、四年間を振り返って感じたことやサッカーに対する思いを、このブログに残しておきたく思います。
~入部に至るまで~
私は、小学校から高校までで既に10年以上はサッカーを続けていました。高校時代、部活自体は楽しめていましたが、サッカーそのものは心の底から好きと言えるかというと微妙なところでした。他部活よりも若干引退が遅いだけなのに(選手権予選など)、大学受験を言い訳にサッカーに対して100%捧げていたとは言い切れないのが正直なところ。学校が坂の上にあったため、毎日恒例の坂ダッシュや朝・午後の二部練など、とにかく毎日を消費するかのように淡々とこなしているだけの印象です。なので、高校サッカーを引退したときは、「もうつらい思いをしなくてもいいんだ」とも思っていましたし、本気のサッカーはこれで終わりにするつもりでした。
結果的に一年間浪人して、2019年の春に北大に入学するわけですが、この時にはすでにサッカー部に入学する覚悟を固めていました。もちろん他サークルや部活(アウトドア系とかウインタースポーツ系)は視野に入れていた時期も一瞬ありました。しかしながら、自分自身に正直なってみるとサッカー部以外の選択肢はありませんでした。高校までの10年間以上、サッカーが私を成長させてくれたし、結局本気でサッカー打ち込んでいる以外の想像がつかなかったからです。新歓では先輩方が優しかったし、指導者がいない中で試行錯誤しながら練習に打ち込む姿がかっこよく見えました。高校では絶対的なスタメンではなかったし(なんならスタメンで試合に出たいと思っていたのかも微妙なところです。)、そういう意味でも、より高いレベルの大学サッカーで試合に出れたらカッコイイと思っていた気がします。
~1年目~
入部して再びサッカー漬けの日々がスタートします。一人暮らしや新生活に慣れる間もなく、週6練習(うち朝練2回)の怒涛の日々です。四年目になった今でも変わりませんが、当時はほぼ毎週同期の家でサッカーの話とかゲームとかして時間を過ごしていました。
同期のメンバーには、とんでもないサッカー馬鹿や1年目ながら組織の仕組みを改革しようとする革命家みたいなやつがたくさんいて、素直に尊敬しています。
サッカー面ですがアイリーグに数分出場した程度で、手応えなし。四年間でトップチームに絡むのなんて不可能ではないかと思っていました。練習では緊張するし、唯一のストロングのロングキックが全く歯が立たなかったことを覚えています。結局、脇役のように穏便に大学サッカーを4年間続けられれば十分ではないかと逃げ腰になっていたのかもしれません。
この時期のターニングポイントとして、一年の終わりごろの東京遠征で、たまたま1学年上の杉山君の体調不良など偶然が重なり、トップチームのメンバーと試合に出場できました。ここで、トップはそう遠い世界ではないのではないかといい意味で勘違いすることができました。同時に、何が何でもトップチームで試合に出てやると、明確な目標へと変わっていきました。
~2年目・3年目~
レベルアップするために何が必要なのか。私は183センチと上背は他の選手よりはありましたが、対人守備が強いわけでも、空中戦が強いわけでもなかったのです。また、大学サッカーを一年間経験して、圧倒的にフィジカルとトランディションスピード・強度が違いました。これらの要素を考えたときに、筋トレにたどり着きました。脳筋プレイヤーの始まりです。ちょうどコロナ禍が始まったタイミングでしたので、民間のジムを契約して筋トレに励みました。他の選手が中だるみすることは予想できたので、自分の中ではある意味、差をつけるチャンスでした。おそらく、全選手の中で一番筋トレし、食事に気を遣っていたと思います。二年目はアイリーグで出場機会が増えたのと同時に、筋トレによりプレーの幅が広がって、自信をもってプレーできるようになってきました。
それでも毎年上手くて強い後輩が入ってきて、自分自身のポジションを守るために必死でした。内心、「同じポジションに上手いやつ入ってくるな」って思っていましたが、競争の中で逆に頑張り続けるモチベーションに繋がりました。特に、ビルドアップの面で技術の向上を目指していた時期です。三年目ではトップチームに絡むことができ、結果として二部リーグ優勝することができました。
私自身、学生主体の大学サッカーに入って、組織のため(広報担当としても)、なにより自分自身に何が足りていないのかを考えたり、同期と話し合う時間がとても有意義だったと感じます。誰かが指導するわけではないから、自分たちで考え0から1を作り出す、上限を設けずチャレンジしてみる、そんなことを部活を通して学べた二年間に感じます。
~4年目~
昇格組として臨んだ今年は、正直に一言で表すなら「今までで一番つらいシーズン」です。シーズン開幕前の3月頃に準備し、思い描いていたサッカーは早々に打ち砕かれ、ずーっと正解が見えないまま過密日程のなか試合を戦いました。チームとして、一生懸命やっていても、何度試行錯誤しても結果がでない時間が続いた。ちょっと良くなったと思えば、今度は大量失点での敗戦。個人として、プレー面で足を引っ張ってしまうことも多々ありました。納得いく試合やプレーなんてほとんどないです。これまでの三年間は1部リーグで戦う北大サッカー部のスタメンで活躍することを一つの目標にしてきましたが、理想とは程遠い結果。
それでも、今までにはなかった攻撃の形や、アイリーグB奮闘など、学生主体の良さがちょっとずつ形になっていく。そんなこと些細なことが楽しく、うれしかった。将来の北大サッカー部に繋がっていくような、まだバラバラですぐに結果には現れないけど、新しいスタートラインに立てた気がします。
北大サッカー部は、あきらめの悪い集団です。プロになれるわけでもないのに、二十歳前後の大人が色々なことを犠牲にしてもサッカーに日々打ち込んでいるのです。他にやりたいことがある奴は、違う道で生きていくと決めて辞めていく。そんな中で、サッカー馬鹿が互いを支えあって何とか浮上しようとする集団。
4年目になって悲観的な感情になる瞬間が多かったからこそ、より強くそうやって思えます。仲間のおかげで救われ、救い合い、踏ん張れた。うまくいかないとき、大きなミスをしたとき、期待を裏切ったと感じるとき、どんな時でも私にとって、大学生活は北大サッカー部を中心に回っている。だからこそ再びチャレンジしようと、もがき苦しむことができる場所も北大サッカー部だって思えます。
そして、ほんとに多くの人達に支えられてサッカーができていることに気づきました。OBOG、若手OBが応援に来てくれること、中学時代のコーチがSNSをチェックしてくれていること、小学校の担任の先生が前期の北翔戦で応援に来てくれたこと、両親、友人が応援してくれること。そして、チームメイトの存在。私はそんな環境で囲まれて幸せです、最後まで全力でやり切ります、楽しみます。
最後に、ここまで読んでくださりありがとうございます。4年間を振り返った思いの丈を文字に起こすのは大変でした。まだまだ伝えきれないことや、一か月後に思うことも変わっているだろうし。私のほかにも同期の引退ブログが更新されていますので、是非一読ください!
おわり
#2 西平賀峻介