サッカーを続ける意味

お久しぶりです。4年目の青木善矢です。

年末のゼミ発表と卒論の中間発表間の切羽詰まった時期に筆を走らせています。
部活動を引退してからは朝から夕方まで研究室に篭り、夜は同期の誰かの家に訪れて戯れるといった日々を過ごしています。
引退ブログに何を書くか悩みましたが、自分が今後の人生で行き詰まった時に見返せるように北大サッカー部での4年間の振り返りを書いていこうと思います。
文章を書くのがあまり得意ではないので、拙い表現があったら申し訳ないです。
少しでも大学でサッカーを続ける迷っている人へ届いたら幸いです。

目次

入部前


高校サッカーを引退した時は非常に満足していました。
静岡県という強豪がひしめく中静岡県ベスト16という結果を残しました。
進学校ながら何年ぶりかの県大会出場だということで地元の新聞記事にも取り上げられました。
その時は大学ではサークルで緩くサッカーを続けようと思っていたので、本気でやれるサッカー人生は終わりだと思っていました。
その考えが変わったのは、浪人の1年間です。
初めての一人暮らしで寮と予備校を行き来するだけの日々。
きっかけは忘れましたが、大学は国立に行って本気でサッカーをする。浪人が終わる頃にはそう決意していました。
当初の計画とはサッカーをやる環境が変わってしまいましたが、それも運命。
右も左もわからない土地で心機一転サッカーに打ち込むことにしました。

1年目

さあ、サッカー頑張るぞと思って矢先のコロナウイルスの流行。
サッカーだけでなく、キャンパスライフという夢までも打ち砕かれました。
それでもサッカーをするという意思は固く、気づいた頃にはサッカー部のSNSに連絡し、サッカー部のコミュニティに所属していました。
7月に部活再開までサンタ(中野家)で過ごしたのはいい思い出です。みんなで協力して課題したり、ゲームをしたりしました。
世間は自粛ムードでしたが、あの頃の自分達は毎日欠かさず会ってて、ほぼ家族同然のような間柄だったので、許してください。
シーズンが開幕してからは、浪人というブランクもありなかなか不遇の年でした。
Aチームに何度か呼んでいただいたこともありましたが、定着することはできずアイリーグで大量失点しないことだけを目的にひたすら体を張って守っていました。
当時は自分やチームメイトに苛立つこともありましたが、その期間が自分が、人間として一歩成長することになったきっかけだったと思います。
それでもシーズン最終節、優勝がかかった試合で失点に絡んで号泣してた八木と交代して公式戦デビューしたことはいい思い出です。
あの時の八木の涙は一生忘れません。

2年目

冬期間は第何波かもわからないコロナウイルスの影響で全く活動ができず、4月からまた新たなスタートでした。
この年から自分は、右SBとしてレギュラーに定着し、ほぼ全ての試合に出場していました。
この年で1番覚えているのは、総理大臣杯2回戦 vs岩教戦です。
試合前までは、北海道でも1.2を争うほど強い岩教に対して自分達がどこまでできるのかとてもワクワクしていました。
試合は予想通りドン引きで0ー0の時間が長く続きました。
試合会場が広くピッチ外のスペースが大きく空いていたので、時間稼ぎも兼ねて気持ち大きくクリアしていたのを今でも覚えています。
そんな中、後半の途中に本郷がCKから得点して1-0。
嬉しすぎて4年間で1番叫んだ瞬間だったと思います。
しかし後半ラストワンプレー自分が相手のエース選手を自陣PA内で倒してしまい同点。
チームはそのままPK戦で敗れました。
正直ファールしてからの記憶が曖昧です。
何も考えられなくなりみんなから慰めてもらったことだけ覚えてます。
この時初めて自分がチームを引っ張っていく立場にあることを実感しました。
シーズン終盤は、シンスプリントという怪我を発症し、90分試合に出続けることが厳しい時期もありました。
それでも試合には出続け、チームは2部優勝、1部昇格と順風な日々でした。

3年目


この年は覚悟を決め色々なことに挑戦した年でした。
先ほども書いたチームを引っ張るという自覚の元、主務という重要なポジションを務めました。
サッカーのプレーでは、頼もしい同期が引っ張ってくれていたので、自分が1番貢献できるのは何かと考えた結果でした。
自分の心配性の性格もあり、なかなか神経をすり減らしていました。
メンバー、審判、マネージャー等試合に帯同する人数分のレンタカーを配車して、時間も設定する。
現地集合に1人でも遅れたら全て自分の責任だと覚悟していました。
サッカーだけを考えて必死に打ち込んでいる選手の裏では様々な人の支えがあることを改めて実感しました。
このことは是非後輩に覚えといていただきたいです。(引退スピーチで伝え忘れました。)
この主務という経験から視野が広くなり、様々な問題に別角度からアプローチすることができるようになったと自負しています。
自分で覚悟を持って新しいことに挑戦することの重要性を学びました。

4年目

いよいよ最上級生。
1年の頃からAチームに同期が多くいたのもあり、今年こそはという想いが強かったです。
しかし、3ヶ月の部活停止。(詳細は控えさせていただきます。)
その時期に就職活動が忙しかったのもあり、サッカーのモチベーションを保つことが難しかったです。
チームの目標も上位リーグ進出→1部残留に下方修正され、チームの雰囲気も決して良いとは言えませんでした。
それでも自分にできることはないかと考え、多くの同期や後輩とコミュニケーションをとることを意識しました。
結果としてそれがチームの為になっていたかはわかりません。
しかし、チャレンジリーグの時の応援を聞き、チームが1つの方向に向かっていると感じました。
そのことが1部残留という目標達成に繋がったと考えています。

部活動というのは日本独自の文化だ。
プロを目指すわけでもない集団が何故スポーツに真剣に打ち込むのか。
これは、自分がサッカーをしてきて何回も聞いてきた議題です。
自分は、サッカーという遊びを通じて人間として成長できたと胸を張っていえます。
ここまで書いてきたように喜怒哀楽全てのことを経験することができます。
今までの仲の良い友達は全員サッカー繋がりです。
それは、社会人になってからなかなか経験できることではないし、このチャンスを逃すべきではないと思います。
大学でサッカーを続けてよかった。
この想いを1人でも多くの人に感じてほしいと願うばかりです。

最後になりましたが、家族をはじめ、自分のサッカー人生に関わってくださった全ての人々に感謝します。ほんとにありがとうございました。

青木善矢

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